第五十一夜 1999年4月17日

< 終わりに >

今、13ヶ月前ここアメリカに着き、初めに辿り着いたホームステイ先のダイニングルーム でこの最後のエッセーを書いています。このダイニングルームには大きなテーブルが あり、椅子が周りに6つ並べられています。今私はマリア(ホストマザー)の席に 坐っており、普段ならその向かいが私の席になります。

今この一年を振り返りながら、おもむろに誰もいない向かいの私の席を眺めると、山 吹色のジャケットに薄茶色のシャツ、赤いネクタイの装いに、緊張した落ち着かない 表情をしながら、大きな不味いピザを無理して頬張っている、アメリカ初日の私の姿 が目に浮かびます。・・・・・あれからもう一年以上が経ちました。そして、その日 に始まった留学が静かに終了しようとしています。

この留学は、私にとっては、何か答えを見つける為に来たようなものでした。つま り、この一年でその答えを見つけ、私の体に蓄積していたモヤモヤとした全ての問題を キレイに払拭するはずでした。そして、一区切り“完結”させる事が最大の目標でした。 しかし、実際にその時期を迎えた今も、マッタクその答えは見つかっていませんし、 “完結”など・・・・程遠いと言えます。そして、これが一年のアメリカ留学を終えての 私の正直な簡潔な感想であります。

しかし、文章ではなかなか伝える事が難しいのですが、私はこの感想を“落胆”と共に書 いているわけでは決してありません。むしろ、“意気揚々”とした気持ちで筆を進めています。

他の国に留学した事がない私にはアメリカとの比較対照国がないのが残念ですが、た だ私の空想で言えば、アメリカほど留学に適した国は他にはなかなかないのではとい うのが今の正直な私の意見です。なにも住んで居心地が良かったから、情が移ってそ の様な事を言っているわけではありません。

この国ほど世界各国の人々と身近に接する機会に恵まれている国はそうはないであろうという 事です。スウェーデン、フランス、スペイン、モロッコ、メキシコ、ブラジル、コロンビア、 中国、韓国、タイ、マレーシア、UAE、サウジアラビア、クェート、イラク、イラン、ギニア、 そしてアメリカ。思い浮かぶままに書き上げても、このアメリカでたった一年で出会った様々な 人々の国籍です。

彼らと出会い話をする事によって、世界の“広さと狭さ”を同時に感じました。つまり、 彼らと出会う前に私が想像していたよりも世界は狭く、彼らと話す事によって、私が 想像していた世界の広さとは違った種類の広さが存在していた事に気付かされたという事です。

なぜ私が、当初の問題が解決出来ていないにも関らず、意気揚々としているかという と、私が以前“考えていた問題”など、もはやどうでもいいと思えるからです。こ の一年で様々な人達と出会い、いろいろ新しい発見を繰り返していく中で、去年まで 私が持っていた少ない知識と経験で勝手に自分から導き出した“お粗末な問題”な ど、もうどうでもよくなっているという事です。

人間は“考える動物”と言われています。私も“良く考える事”は賞賛に値する行動であると 思っていました。しかし、今私は“考える事によって新しい事が生み出される”という事に は若干否定的であると言えます。

人間は何かを“考える”と、どうしても何とか答えを出そうとします。しかし、その出てくる 答えは、所詮その限られた知識と経験からしか導き出されません。仕事で言えば、 何かある業界でビジネスとして成功を納めた方でしたら、それなりの答えを出せるで しょう。しかし、私を含めて他の人達が必死になってその答えをだそうと思ってアタ マを振り絞っても、所詮たかが知れているという事です。

一年前は、何とかこの一年でその“考えていた問題”に答えを出そう と思っていました。そして、今一年経って思います、“馬鹿には答え以前に問題も作れない!”と。

今は何も考える事はありません。ただ、吸収するのみです。目標はあります。しか し、その達成の為に“考える”事はマッタクありません。なぜって、考える材料が揃って いないのですから!

世界は広く狭いと申し上げましたが、個々の人間そのものとしての相違はあまりな く、その人間が長い年月に渡って受け継ぎ、築き上げてきたものは驚くほど広大だと 言いかえられるのではと思います。それも果てしなく・・・・・。

その限りない世界の可能性をこの一年で感じた今、何かを“考える”暇などマッタクあり ません。せっかく目を外に向けていれば吸収できた事も、下手に無意味に下を向いて 考えていたがために、その貴重な機会を見逃してしまうのではと感じます。これからも、一瞬、何 かが大問題だと感じる時もあるでしょうが、所詮知識も経験も少ない一人のその時の 私がそう思っているに過ぎない事でしょう。それを解決しようと、悩む事も考える事 も時間の無駄であると考えます。要は、もっともっと私の枠を広げてどんどん吸収しようと 努力していけば、その時“大問題だと感じていた事”はやがて“クダラナイ戯言”と化してし まうと今現在の私は感じます。私はしばらくはそのように生きて行くと自分で思います。

ただ、それもいつまで続くか分かりません。なんといっても、所詮まだまだ知識と経 験の少ない今現在の私の“考え”ですから!

私はこの留学終了が“完結”を意味すると思っていましたが、とんでもない。もしか したら、26歳でやっとスタート地点が見えたと言えるかも知れません。ある意味、 ゴールはあります。その為に努力する事も解っています。しかし、そのゴールは決し て“完結”を意味しません。

“完結”させる為に、何かを“考えて”達成するという事など、一生不可能であるような気もします。 ただ、一つ言える事は、その“完結”をガムシャラに追い求める事によって、いつかそれに届かない までも、とてつもなく大きなゴールを達成出来る日が来るのではないかいう事です。そして、 それを人は、“自分が考えて導き出した賜物”と勘違いするのでしょう。・・・・・・私もいつか その様な勘違いをしてみたいものです。

この一年間のエッセーをおもむろに読み返してみて、最後のこの章でこの結論が出てきた自分 に少なからず驚きを感じています。そして、13ヶ月という長い期間をかけて、頭蓋骨から 中心に向かって作動していた私の脳を外向きに捻じ曲げてくれた“アメリカ”に心から感 謝したいと思います。

また、私がそのつど感じた事をこのエッセーを書き上げる事によって心に定着させら れ、次のステップをする為のしっかりとした足場が週刻みで固定させられた事が、こ の私の留学をより充実した確かなものとさせてくれたと思います。改めて、この様な 素晴らしい機会を私に提供してくれた無垢の渡辺さんに感謝したいと思います。

そして、世間知らずの自分勝手な発言に加え、誤字脱字、不的確な文法といった読む 上での様々な不備にもかかわらず、この一年御愛読頂いた皆様に心から感謝致しております。

いつかどこかで、皆様が心から時間を忘れ、人生の至福の時を感じられるその空間の 片隅に、シルバーのChateau Laguioleを片手に立っていられたらと願いつつ、それを必ず 達成する事をこの場でお約束して、このエッセーの絞めの言葉と致します。 一年間有り難うございました。

 

第五十夜 1999年4月12日

< ありがとう、マキシミリアン! >

4月10日、土曜日、午前10時。いつもの様に、マキシミリアンに着き更衣室で制 服に着替えていました。ボロボロのロッカーから、いつもなら何も考えずに数種類あるネク タイからテキトーに取るのですが、この日ばかりは不思議とどれにするかためらいました。それはそ のネクタイが3ヶ月間駆け抜けた私のインターンシップの最後のゴールとなるリボン になるからです。

結局、去年まで働いていたバーの最後の日に使った一番気に入っている淡いブルーの ネクタイを締め、マキシミリアンのダイニングルームに小走りに向かいました。土曜 は観光客向けにブレックファーストを供しており、既に慌ただしい雰囲気でした。

1月4日にこのインターンシップを始めた時もそうでした。開店と共に満席となり、 お客様や他のスタッフの動きそのものが激流に見え、何をしてよいか戸惑い足が宙に 浮き、他のスタッフの私への無関心もその困惑に拍車を掛け、オロオロした事をその 瞬間ふと思い出しました。

しかし、その様な事が脳裏をパッと巡ったその最終日、その流れに皆の暖かい視線を 羅針盤に自然に溶け込め、すぐさま仕事に取り掛かれたその瞬間、この3ヶ月の時の 流れを心地よく感じました。

数学的にいや算数的に考えれば3ヶ月はタッタ1年の4分の1です。しかし、その 3ヶ月の意味を考え、その時間を横に割ってしみじみと眺めてみると、その意味はとて も数学やましてや算数の計算式では解明できない複雑さがあるのではと今実感しています。

インターンシップが終わり帰国を間近に向かえ、今週はこのアメリカで出会った友人 に別れの挨拶に忙しい毎日です。その度に、“インターンシップはどうだった、何を学 んだの?”という質問を必ず聞かれます。

しかし、なぜか言葉が出てきません。確かに、言葉で表現できる技術的な事も教えて 頂きました。しかしながら、私が心の底からマキシミリアンに感謝したい事は、ただ その様な知識や技術を学べた事ではありません。

もっと、はっきり申し上げれば、日本でもしっかりしたフレンチレストランで働いて いれば、その様な知識や技術は間違いなく日本人のギャルソンからも学べます。しか し、私がこのマキシミリアンで、アクセルやフランソワに学んだ事は、というより彼 らを見て激しい衝撃とともに心底に響いたこの感動は、決してマキシミリアンで働く 事を無くしては不可能であり、とても私には描写など出来るものではないのです。

まして、それを英語で表現する事など何年かかっても不可能でしょう。友人達は私の 黙りつつ何かを含んだニヤケ顔にヤキモキしているようでしたが、だからと言って、 私も表現できない悔しさに駆られることは全くありません。

うっすらと雲がかかっていてぼんやりとしていても、その後ろに太陽が隠れているこ とがはっきりと分かり、 その太陽は見えないまでも、その眩い光がその雲を軽々と通り抜け大地まで明るく照 らしている、その様な不思議と晴れ晴れとした気持ちであります。

その最終日、満席の中をアクセルの真似をして、しかし似て異なる歩き方でギクシャ クしながら小走りでかけ歩き、気が付けば夜の11時を回っていました。最後のお客様を送り出 し、後片付けを済ませ、皆が食事の準備をしている頃、一人でそのダイニングルーム を隅々まで眺め、ふと物思いに耽りました。

誰もいなく、さっきまでの華やかなざわめきは遠く消え、静かな空間へと変わってお り、3ヶ月間の私のテープレコーダーの録音がそこで止まった事を優しく教えてくれま した。そして一瞬にして、お客としてマキシミリアンに来て、初めてアクセルとフランソワを見て、 そこでのインターンシップを心に決めた数ヶ月前のあの日に巻き戻され、奥のテーブ ルに坐り煙草を吹かしながら、静かに今までのその映像を目をつぶりながら追っていました。

すると、二階のバーからフランソワの私を呼ぶ声が聞こえ、ハッと我に返り、急いで 階段を駆け上がりました。そこにはアクセルとフランソワがカウンターに坐ってお り、仕事の後の一服を楽しんでいました。そして、フランソワがにこやかに“メル シー”という言葉と共に片手を突き出したので、私もフランソワが理解できる数少な い日本語の一つ“ありがとう”という言葉と共に、彼の大きな手を握りました。力 いっぱい握った手の中心部に何か異物が当たるのを感じ、驚いて手を引くと、その中 に“Chateau Laguiole”と書かれたモスグリーンの皮の縦長の小さな入れ物が目に入 りました。なんと、私がずっと欲しかったソムリエナイフです。しかも、中を開けて 取り出すとズシッと重く、眩く輝く銀のChateau Laguioleでした。 私は感激と共に胸がいっぱいになり言葉を失いました。思えばインターンシップを始 めて数日後に、日本から持ってきた、私が何年も愛用していたソムリエナイフがロッカーから盗ま れてしまい、私がずいぶん落胆していた事を彼らは知っていました。フランソワはこ れはアクセルからだと私に小声で告げ、カウンターでにこやかに微笑みながら煙草を 吹かしているアクセルを指差しました。

感極まりお礼を言うと、フランス人らしく、またとてもアクセルらしく、“後3ヶ月 インターンすればゴールドに変わるよ”と茶化したように答えましたが、それが更に 私の涙腺をゆるめさせました。

ダイニングルームに戻り、最後の食事を取り、そして更衣室で着替え、いつもより少 し大きめの鞄に私のロッカーに詰まっていたものを全て押し込み、最後にそのソムリ エナイフを外側のポケットに別にしまいました。忘れ物がないか確認すると、いつも 通り一つ忘れていました。その日に使ったブルーのネクタイです。

そのネクタイは初日にも使いました。そして、その日の同じぐらいの時間に食事をし ていた時、フランソワが変わったデザインだねと言って興味深く眺めていました。そ れからネクタイ談義を始め、次の日からたまにネクタイを交換して仕事した事もあり ました。

その日までマキシミリアンで充実した日々が過ごせたのも、また最後に無事ゴールの リボンを切れたのも、そのフランソワのお陰である事は確かです。彼には心から感謝 しています。

そのネクタイは、数年前バーテンダーになって間もない頃、ちょっと背伸びして無理 して買ったものです。早くそのネクタイに見合った仕事がしたいと胸にプレッシャーを感じな がら毎日過ごしました。テーブルの上に忘れたそのネクタイを取り上げ、そのゴール の証をしばらく眺め、それから無作法に開けっ放しのフランソワのロッカーに縛り付 けました。彼への感謝の気持ちと、新しいゴールへ向けて私なりに区切りを付けたつもりです。

皆と最後の握手をかわし、再会を約束しマキシミリアンを後にしました。ガラスのド アを静かに閉め、そのガラス越しに中を眺めながら、初日のドアを開ける時の緊張も 思い出しました。“肌と髪の色がマッタク違う人種に対する違和感。”それが私のマキシ ミリアンのドアに辿り着いた時の最初の印象でした。今はその人種がガラス越しに 私と同じ目で又同じ気持ちでサヨナラを表現してくれています。

10メートル程歩き、また振り返り、エントランスの明かりの消えたマキシミリアン の表示を眺め、ちょっと立ち止まり、鞄からそのシルバーのソムリエナイフを取り出しま した。そして、それを手にしたままマキシミリアンに背を向け、小走りに最終バスへ と向かいました。バスに乗り、そのソムリエナイフを見つめると、ふと同時に、その眩さの奥 に、あのアクセルのサービスの芸術的な輝きも目に映りました。それが私のこ れからの“新しいゴール”です。数年前にあのネクタイにプレッシャーを感じたように、 いや今度はそれ以上の重みをそのソムリエナイフに感じます。

そのソムリエナイフは一生の宝になることでしょう。そして、そのゴールも私の一生をかけて 追い求める価値のあるものであると思います。まだ開こうとすると固さがあるそのソムリエナイフ。 その固さがゆるまる頃、私の体から発する物もそのシルバーの輝きに負けないくらい眩いもの になっている事を心から願います。・・・・・・あのアクセルのように!・・・・・ サヨナラ、みんな。そして、ありがとう、マキシミリアン!

 

第四十九夜 1999年4月8日

< 華麗なるフランソワ >

背筋をすっと伸ばし胸を張り、ただでさえ高い身長を更に誇張させ、さっそうとフロアーを佳麗 に歩き、物腰低くあくまで脇役に徹しながらも、その溢れんばかりの自信から導き出 されたオウラとフランスのエスプリを強くフロアーに放ち、最後のデザートを供する 頃には誰の目にも主役に映ってしまう。容姿端麗、頭脳明晰、ヘミングウェイと共に ロストジェネレーション(失われた世代)の代表作家であるフィッツジェラルドの代 表作“佳麗なるギャツビー”を彷彿とさせる、それがマキシミリアンのソムリエ兼 ギャルソン フランソワです。

フランスで最も美しい街の一つロワールで生まれた彼は、十代前半でソムリエになる事 を心に誓い、16歳から2年制のレストラン学校に行き、そして卒業後すぐに今度は ソムリエの資格修得の為にワインスクールに1年通い、その後、パリの2つ星レスト ラン(名前は忘れました)でコミとして働き、その数年後に現在フランス料理界で最 も注目されているグランシェフの一人であるアランパッサール率いる3つ星レストラ ン アルページュで働き始めました。その期間に現在のアメリカ人の奥さんとパリで 出会い、結婚を決め、2年程前にこのシアトルに移ってきました。

マキシミリアンで2年の月日を費やし、マネージメントから社員教育に至るまで様々 な面でオーナーであるアクセルをバックアップしてきました。今マキシミリアンでの 彼の存在は絶対です。

先日のイースター当日に、予想をはるかに上回る予約を承り、開店前にスタッフ全員が集まり 緊急ミーティングを開きました。かつて経験した事のない状況であった為、オーナー であるアクセルがスタッフのポジションについて事細かに決め指導を始めました。

日本やフランスでならトップの支持に素直に従い、すぐ仕事に取り掛かかるところです が、ここアメリカは“何でも話し合いで決めましょう”という呆れるほどのディベートの 国です。案の定、アクセルの説明を途中で止め、“自分はこうした方が良いと思う” ・・・“私はその場合はこうしないと混乱すると思う”・・・・などといった場違いな発言を発す る“愚か者”が出てきました。

アメリカ人を良く理解しているアクセルは、仕方なくそのディベート(?)に付き合ってい ましたが、そのミーティングで、その状況に呆れ果て、腕を組んで窓の外を眺め全く聞く耳を持たな いでいるヤツが一人だけいました。まぎれもなくフランソワです。

しかし、しばらくそのディベートが続いた頃、その無視していた男の口がやっと開き ました。“同じ状況は二度とない。柔軟に対応しろ。混乱?その時はそのテーブルを 俺によこせ。俺が何とかする。”・・・・そこでそのディベートは皆の無言の納得の もと無事に終わった事は申すに及びません。

そのミーティングが行われた二階のバーから一階のダイニングルームに降りてくる 時、フランソワが私の耳元で囁きました。“もしアランパッサールがそこにいたら、 奴等は殺されてた。”フランソワの最も恐い存在であり、最も尊敬している人物です。

余談ですが、フランソワから聞いたアランパッサールに関する秘話を2つほど紹介致 します。まず、アランパッサールの料理はその調理法の完璧さで有名ですが、その秘 訣は、まず彼が完璧主義者である事が挙げられます。アランパッサールは必ずキッチン とダイニングルームの境目に仁王立ちし、料理の最終チェックをするそうです。そし て、ほんの少しでも彼のイメージと違うと・・・・・“なんだこれは〜”という叫び とともにキッチンの中央にその料理を投げつけるそうです。フランソワ曰く、完璧な 料理の影にどのくらいごみ箱行きになったか分からないそうです。

また、その完璧主義は全ての面でそうであって、例えば掃除にしてもそうです。ある 日、若いキッチンの見習いが冷蔵庫の周りを掃除していると、アランパッサールが近 寄って来て“キレイになったか?”と尋ねたそうです。その青年は“はい”と答える と、彼はその冷蔵庫を引っ張り、冷蔵庫が張り付いていた壁の微かなシミを見つけ “これは何だ?”と怒鳴りつけたそうです。その青年は初日だったらしくアルペー ジュでの掃除の仕方を知らなかったらしいですが、そこでは毎日“歯ブラシ”を使って 隅々まで磨き上げるそうです。

その完璧さをフランソワが受け継いでいる事は、マキシミリアンでの彼の仕事ぶりを 見ればすぐ気が付く事でしょう。アクセルにとってフランソワは最も頼りになる名参 謀である事は間違いありません。

しかし、そのアクセルにとって最も恐れている事が先日起こってしまいました。それがヘッド ハンティングである事は想像に難しくないところです。先月もシャンパンのブーブク リコ社からセールスマネージャーの話があった事は以前のエッセーで触れましたが、 その時は条件が合わなかった事とやはりレストランビジネスの味をしめてしまった彼 には離れる事が出来なかった為、フランソワはマキシミリアンに残りました。しか し、その話が流れ、私もホッとしていた矢先、今度はフランソワ自身が最も望んでい た夢の様な話が舞い込んできたのです。

シアトルのダウンタウンのとあるホテルがメインレストランをリニューアルオープンさ せ、それまでのアメリカ料理からフランス人シェフによる完全かつ高級フレンチレストラン にグレイドアップさせるという話は以前から業界の噂になっていました。そして、そ こで、なんと、そのジェネラルマネージャーとしてフランソワが誘われたのです。

昨日フランソワがそのホテル関係者と話をする事になっていた事は知っていました。 そして、今日フランソワがマキシミリアンに出勤するやいなや、私は彼を更衣室に 引っ張り込んでその結果を聞きただしました。私が“マネージャーになるのか?”、と聞く と、彼は首を横に振りました。私は、まさか断ったのかと喜びと落胆の入り交じった驚 きを抱き、また条件が合わなかったのかと勘繰りましたが、すると彼はマネージャー ではなく“ソムリエ”だとにこやかに答えました。

もちろんソムリエよりマネージャーの方が収入は多いに決まっています。しかし、彼 の幼い頃からの夢は列記とした“ソムリエ”になる事でした。マキシミリアンでもソムリ エの仕事はしています。しかし、実際そこでは、ソムリエでありギャルソンでありマ ネージャーであり・・・・・研修生の子守りでもあります。

彼はソムリエを切望したそうです。ホテル側としてはマネージャーを担当して欲し かったらしいですが、彼の情熱が勝ったようです。彼は、予定通り進めば、5月の半ばか らそのレストランで働き始めます。私としては、今度遊びにシアトルに立ち寄った時、マ キシミリアンで、アクセルとフランソワの佳麗な連携サービスを見れなくなるのは残念 ですが、一度はレストランから身を引くかもしれなかったので、今回のソムリエとし ての大出世を聞けば喜びの方がはるかに大きいと言えます。ただ、アクセルの数日後 の心境を考えると・・・・複雑です。

しかし、その新しいレストランで働き始めて3年ほどでフランソワは退社しようと考 えています。それは例えマキシミリアンで働き続けたとしても同じであります。それ は、その3年後にフランソワはアメリカ市民の資格を得る事ができ、そしてその権利 を手土産に祖国フランスに帰ろうと考えているからです。

フランソワは自分の育ったフランスを誇り高く思い又心から愛しています。その強さは ただでさえ愛国心の強い他のフランス人と比べても比にならないくらいでしょう。ア メリカ人との結婚を決め、経済的な事を考え、大嫌いなアメリカに移り住み、そして2 年以上の月日を費やしました。ドーテの“最後の授業”の舞台となった、かつてはドイツに 占領されたフランスのアルザス地方の様に、そのアメリカの影響を色濃く受ける一方で、その愛 国心もその分さらに強くなっているのでしょう。

っと、ここまで読み返してみると、フランソワという人物はとっても“おフランス”で ちょっとスノビッシュでジャンギャバンのような典型的なパリジャンなのかなと思わ れてしまいそうですが・・・全く似て異なると言えます。

では実際のフランソワと言えば、とにかくお喋りが好きで、食事の時など、疲れている 私の耳元でガンガン喋り続けます。それもほとんどアメリカ人の揚げ足を取ったよう な皮肉ばかりで、自分で話しては一人で大笑いしています。日本人の“無の境地”と異な り、フランス人は“万物全てを言葉で表現出来ると信じている人種”と言われますが、フラ ンソワはそれに輪をかけて、また品を悪くして(?)当てはまっていると言えるでしょう。

特に、インターンシップの二日目にまだ私が緊張していた時、フロアーで落ち着かな く立っている私にツカツカと近寄り、耳元で彼が囁いた事は忘れられません。アメリ カ人のほとんどは、食事の時、ナイフを使わずフォークを利手に持ち片手で食べる事はよく知ら れています。そこでフランソワは私にその事について話し掛けてきました。“カズ ト、なぜアメリカ人は単純でアタマの悪い人種か分かるか?”・・・・答えようがあ りません。・・・“見てみろ。ヤツラは 右手しか使わない。医学的な見地から言えば、つまり脳の左半分しか使っていない事に なる。だからさ!”・・・そういって彼はお客様の見えない位置に隠れ大笑いしました。・ ・・・・不思議と彼とは気が合います。

インターンシップが始まって3ヶ月。その間、彼と費やした時間は何事にも代え難い 財産であると共に忘れられない思い出になる事でしょう。仕事中はよく叱られまし た。ワインを丁寧に注いだつもりが、彼から見れば、“死にかけた爺さんの注ぎ方”だそう です。フランソワのように勢いよくエレガントに注ぐ事は今の私には出来ませんがい つかそうなりたいものです。

また、彼とはよく笑いました。仕事が終わり、アクセルが 帰ったのを確認して、生卵でキャッチボールを半分本気でしたり、その日のアメリカ人 のお客様の大柄な態度を真似したり、アクセルの食事にそっとタップリのマスタード を混ぜ込んだり、また・・・・とてもこのエッセーには書けない事を話したり(注、 話しただけです)。また、彼ほど英語の未熟な私をバックアップしてくれた人もいま せんし、練習の場を与えてくれた人もいません。そして、暇を見つけては、デクパー ジュなどのサービス技術やフルーツの美しい切り方など丁寧に教えてくれました。彼 には心から感謝しています。

今日は二人とも早く仕事からあがれたので、ワインバーに行き、ちょっと早いですが、そ の様な思い出話もしました。そして、そのバーを出る間際、“3年後フランスに来い!”と 彼は突然話しました。もちろん遊びに行くと答えると、彼は“インターンシップしたく ないのか”と付け加え、ニヤっと笑い、“まだ教える事は沢山あるし、もっとレベルの高 い本当のフレンチレストランを経験したいだろう。本物のフレンチレストランはフラ ンスにしかないんだ。”とちょっと気に障るような事も付け加えましたが、私は非常に 嬉しく思いました。

その店を出て、小雨の降る中を歩きながらフランソワが、“アメリカに一つだけ学べる 事がある。”と言い出しました。それは、“人生いつでも勉強すべきだ”という理念です。 確かに、アメリカでは、何歳になっても大学に通ったり、夜間のコースを取ったりと 言った事は決して珍しくありません。三年後は私は29歳になります。私の両親の感 覚で言えば、そろそろ落ち着いて家庭を持って・・・といった年齢でしょう。しか し、今現在でさえその枠を、幸か不幸か、すでに外れている様な気もします。もう乗りか かった船です。たった3年しかありませんが、ある程度のフランス語を修得するには 充分な時間であるような気がします。その路上で、3年後のフランスでの再会を誓い 固く握手しました。

フィッツジェラルドのギャツビーの結末は作者の人生の様に悲惨でした。しかし、こ の“華麗なるフランソワ”にはそれは当てはまりません。また、フィッツジェラルド やヘミングウェイの“失われた世代”と比べ たらおかしいですが、フランソワや私がレストランで費やした時間と引き換えに我々 の友達などが得られた、又は我々が得られたかもしれない小さな幸せを掴み損ねた事 は事実です。しかし、フランソワとその日熱く誓いました。俺達は失った物も大きい が得る事もデカイ!いつか彼をライバルと呼べる日が早く来て欲しいものです。私は この業界に携わっていて本当に良かったと感謝しています。もしそうでなければ、こ のような素晴らしい友に出会えなかったからである事は申すに及びません。フランソ ワと費やした時間。私が他の友人と過ごせなかった時間を差し引いて有り余る価値の ある時間であったと思います。

フランソワはその路上 から斜め向かいにある“銀行”に眼を向けながら、一言私につぶやきました。“カズトの残高を 調べに行くか?”そして彼はニヤニヤ笑いながら“5年後ね!”と言い直し、手を振りながら帰って 行きました。やっぱり彼は皮肉好きのフランス人です。・・・頑張って働こう・・・ ・・5年後は31歳か・・・。

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