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第四十八夜 1999年3月31日
< いつか誰かに! >
何事も蓋を開けてみれば考えていたよりも単純に事が進んでしまうと言う事は、おそら
く多くの人が体験から同意できる事であると思いますが、そうは言っても、なかなかい
ざ実行に移れないのが我々日本人である事は世界各国の同一の意見であるようです。
世界各国の日本に対する意見と言えば、もう一つ何でも物が高いと言う事も挙げられ
るでしょう。これはレストランやホテルでの費用も含まれると思います。他の国と比
べて商品の流通経路が著しく複雑な事を考えれば、全てにわたって割高になるのは容
易に想像できますし、批判されて久しいところです。
そして、世界一高い人件費もそれに拍車を掛けている事は周知の事実であり、また可
能な解決はされ尽くした問題と考えていましたが、ここアメリカでそれに対して更な
る解決への糸口が見えたような気がします。
実際、日本で言われるその解決策はただ人を減らすか、特にレストランなどで
は給料がある程度安くて済む若い人材を採用する事のようです。しかし、それでも抜本的な解
決策には至っておらず、その苦肉の策が原因でサービスの質が低下し、コストと共に
売り上げまで下がってしまったという例も少なくないと思います。
では、ここアメリカでその人件費対策をどのように乗り越えているかと言うと、要は
シンプルで、給料が異常に低くて済む外国人労働者を積極的に採用している事がまず
挙げられます。また、これはアメリカだけに言えるのではなく、ヨーロッパ各国でも
当然のように実行されている事です。
人件費が下がり、商品を安く提供でき、お客様の回転も良くなり、延いては国の経済
をも刺激出来る。また、日本人と比べて低い給料でも、例えばほとんどの東南アジア
の国であればその少ない給料でさえ、送金すれば莫大な財産に早変わりするわけです
から、そちらも万々歳というわけです。
私がアメリカに来て見えてきた事とは上記の解決策ではありません。この様な事、当
の昔からいわれている事ですし、少数ながら実行している会社もあります。では、私
は何をここアメリカで感じたかというと、それほどそれを難しいと考える必要はない
のではと言う事です。
この外国人労働者に関して、日本で即座に問題視されるのが、犯罪と日本人の失業率の増加で
しょう。しかし、単一民族だからこそ世界最高の安全性ほ誇ってきた日本が、現在単一民
族であるが故に、訳の分からない犯罪が増えてきているとも言えるのではないかと思
います。また、我々若者の成熟度が他の国と比べて低い事も、単一民族であるがゆえ
に、胃の中の蛙になっている事が一つの要因であると言えるのではと考えます。つま
り、様々な人種と接触し又それによって生じた問題を解決しようと努力する事により
国際的な感覚を自然に身に付けていっている欧米の若者に知性で一歩譲っている原因
に、その日本人の排他性が少なからず関っているのではと言う事です。
また、失業率に関しては、例え初期段階で多少圧迫したとしても、それによって会社が元気を取り戻せ
ば、いずれその何倍もの採用をするでしょうから、最終的にはその問題は解決されるような気がします。
ただ、この上記の二つの問題はよく挙げられる事ですが、実際日本の会社が懸念して
いるのはそれだけではなく、単一民族であるがゆえの拒否反応が最も大きな原因では
ないかと思います。そして、私が蓋を開ければそれほど難しい事ではないと感じているのも即ち
この部分です。また、我々日本人に蔓延っている人種差別的思考を根本から排除で
きる唯一の方法でもあるような気がします。
マキシミリアンには、以前も紹介しましたが、二人の外国人の皿洗いがいます。ギニア
人とメキシコ人です。では、その二人と他の従業員の間にどのようなコミュニケー
ションが存在するかというと・・・・その二手に分けるという概念すらありません。
つまり、その二人の外国人労働者と他の従業員という区別すらないということです。つまり、皆同じレベルでコミュニケーショ
ンが取られているということです。(よく考えてみれば、オーナーも外国人です。)
(しかし、ここでしっかり触れなければいけない事は、それでは給料に関して差別で
はないかという疑問に対する答えです。問題ありません。ただ単に彼らにウェイター
をする能力がないと言う事で片づけられます。)
特に、そのメキシコ人のジーザス(ニックネームです。神と呼ばれています)はマキ
シミリアンでは皆を和やかにする為にはなくてはならない存在であり、彼がいる事に
より職場そのものが明るくなるような気すらします。とにかく人を笑わせる事を生き
がいにしているらしく、皆皿洗い場に汚れた皿を持って行く度に何かを期待させら
れ、そして彼は様々な手法でその期待に必ず答えてくれます。また、気まぐれにたま
に彼が作る本格的なメキシコ料理のまかないは皆の楽しみの一つでもあります。ただ、面倒くさ
がってなかなか作ってくれませんが・・・・。とにかく人気者です。
また、ギニア人のママドゥは50歳ほどの紳士で、祖国では、ある種族のリーダー的存
在であり、わけあってアメリカに渡ってきたのですが、ここマキシミリアンでは若い
スタッフが世界の広さを学んだり出来る特殊な存在であります。とにかく物知
りです。あるアメリカ人のスタッフなど、彼のいる皿洗い場に行ったまま20
分もホールに戻って来ず、探しに行ってみるとママドゥの話を腕を組んで深々とうな
ずきながら聞いていました。これは仕事としては決して良い例ではありませんが、そ
のようにただアメリカのような先進国に住んでいるだけでは学べない事も身近に学ぶ
事が出来ると言うわけです。
話を日本に戻します。私は多くの日本の会社の経営者が懸念している事は、現在の日
本の状況を考えれば致し方ないとは思いますが、ただ私が思っている事は、誰でも良いから人件費の安い
外国人を雇えば良いと言う事ではありません。当然会社ですから選ぶ権利はありますし、すべきであると思います。
どうしても、日本では特に東南アジア人に対するイメージを一つ括りにしがちです
が、当然ですが、どの国にも様々な人がいると言う事は忘れてならない事実であると
思います。また、その当然の事実を分かっていない日本人にその誤解を取り除く為に
も、いろいろな国の人々と共に働くという事は絶好の国際交流の場であると感じます。
しっかり面接し話をすれば、それほど大変な問題は起こらない様な気がします。どこか
らそういう発想が出てくるのか分かりませんが、“外国人労働者イコール盗難”と危惧の
念を抱く方がいますが、それは決して出身の国で決められる問題ではありません。会
社とその外国人労働者との信頼関係に寄与する部分が多いのではと感じます。と言っ
てもそれほど大袈裟な事ではなく、フランス人のシェフのエリックがメキシコ人の
ジーザスからメキシコ料理を楽しそうに教わったりといったその程度のお互いを尊重
する気持ちの余裕が持てれば良いと言う事であると思います。
何の根拠もなく、欧米に行けば小さく身構え、東南アジアでは大威張りするという馬鹿げた気狂い的な伝統
を我々の世代までもが継承しようとしています。しかし、いくら頭の中でそれを善意
で拭い去ろうとしても、人間はそれほど賢い生き物ではありません。すなわち、もっと様々
な国の人々と身近に接する機会が必要であると考えます。“様々な国で様々な
人がいる。”この様な当たり前の事実を早く日本人全てがそのまま事実として何の抵抗
もなく受け入れられなければ、益々我々日本人は世界から孤立していってしまうと危惧の念を
抱きます。更に、日本では世界各国の生の情報があまりにも少ない為、唯一入ってくるアメリカ的思考に
異常に影響され、又更に悪い事には、その世界の中の単なる一つの国の単なるアメリカだけの考えを、
比較対照がない為、世界の(インターナショナルな)考えだと錯覚してしまう事です。
アメリカに来て一年以上が経ちました。“日本では外国人を見ればアメリカ人だとす
ぐ思い込む。”去年まではただの笑い話でした。“外国人イコールアメリカ人。”す
なわち“世界イコールアメリカ。”一年経った今、非常に危険な思考に思えます。
アメリカ人は誰でも日本に来れば、東南アジアの方々と比べて簡単に職に有り付ける
と聞いた事があります。しかし、アメリカ人も、当然ですが、様々です。そして、ど
の国でも同じ事が言えます。もちろん日本でも同じ事が言えるでしょう。
私の中学時代の数学の先生が、我々が大人になる頃(つまり現在)には国際結婚が一
般化するであろうと授業中語ってくれた事を思い出します。つまり、その頃から日本
の外国人の受け入れが騒がれていたと言う事です。しかしながら、十数年経った現在
でさえそれに関して何の変化も見られません。世界中からのプレッシャーより日本人
の拒絶反応が、そして世界の流れよりも日本に根付いた排他性がより強いと言えるの
かもしれません。
アメリカで出会った日本人の友人が続々日本に帰国しています。皆それぞれこの一年
で何かを感じて帰国している事と思います。しかし、たった一年で一つの国を理解す
る事は誰にも不可能である事は事実です。ただ、それによって生まれ育った祖国が浮
き彫りにされ新たな一面を垣間見る事は可能です。
私がここアメリカで感じた事が正しいとは自信を持って言いきれませんし、誰かにそ
れを押し付けようなどとも決して思いません。それに、今の私には何もそれらを裏付
ける手立てがありません。しかし、アメリカが教えてくれた感覚を私自身から離れる
事も決してないでしょう。私は私自身を信じます。そして、その感覚と共に生き、い
つかそれを裏付ける事が可能な、目に見える結果を出した時、私の戯言に耳を傾けて
くれる人が出て来てくれると願います。
“与えられた環境を制覇しないで、それを否定する資格はない。”これはバーで働い
ていく中で、先輩方そして後輩達に間接的に学んだ事です。仕事にだけでなく全てに
当てはまるような気がします。
帰国後すぐにアメリカで学んだ事を、決して忘れないまでも、実行に移すつもりはあ
りません。それは私が日本で学べる事を全て学びつくした訳ではないからです。そう
言ったら一生かかっても全てを学ぶ事は不可能でしょうが、ある時期がくれば、ここ
アメリカでインプットされた事が自然にアウトプットされて行くような気がします。
しかし、それがいつになるか見当もつきませんし、また自分自身で気が付くわけでは
ないような気がします。きっと、ふとした時、今は知らない誰かに気付かされるので
はと思います。多分そういうものでしょう!・・・大器晩成・・・んっ、待機蛮声?
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