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第四十夜 1999年2月2日
< 飲食業界のステータスの向上を! >
各国々によって、様々な分野に対して価値観が異なる事は鮮明な事実です。前回紹介
した私のラテンの友 アルマンドの国ブラジルでは、ご承知の通りサッカーが非常に
盛んであり、単なるスポーツという領域を脱しています。
アルマンドも例外なくサッカー狂です。彼もかつてはプロを目指しており、実力はな
かなかだそうです。そして、ブラジル人にとって、くり返しますが、サッカーとは単なるスポーツではな
く、ある意味、一つの哲学的意味合いも兼ね揃えており、特にアメリカ人がサッカーを単なる玉蹴りという
ように扱おうものならムキになって怒ります。
ウォーレンがアルマンドに、友達のサッカーチームに遊びで出ないかと問い掛けてきま
した。もちろん、ウォーレンの好意からです。私もそれを聞いていて、アルマンドは喜
ぶだろうなと思いましが、意外にもアルマンドは顔をしかめ、“NO”とはっきり断り、
ブラジルサッカーを汚さないでほしいと言って部屋に入ってしまいました。ウォーレ
ンの冗談交じりのサッカーを馬鹿にしたような態度にも問題があったのかもしれませんが、常に冷静なアルマンドが急に胸を詰まら
せた態度をとったので大変驚きました。彼はプロではありませんが目指していただけあり、サッカーに対する思い入れも人一倍強いの
でしょう。その価値を分かっていない人にサッカーを軽んじられた印象を持ったのではないかと思います。
私は、何となく彼の気持ちが理解できます。以前、友達の家に遊びに行った時、数種類の
リキュールとジュース、それにシェイカーもあるからカクテルを作ってくれと頼まれた事が
あります。彼に悪気はないのは分かっています。しかし、その時の私には、どうしても
作る気になれませんでした。すると、彼はシェイカーに氷を入れ、笑いながら、そしてふざけ
ながらシェイカーを振り出しました。彼が自分で楽しむ為に買った自分のシェイカー
です。しかし、それを見て私は、何ともいたたまれない気持ちになった事を思い出しま
す。彼にとっては遊びでも、私にとっては真剣な世界なのだと心の中で叫んでいたと思
います。知らない人には、どうと言う事ではないかも知れませんが、私にとっては神聖
な世界であり、それを知らない私の友人がその枠に土足で入ろうとした為に、バーテン
ダーとしての私がそれに拒絶反応を起こしたのでしょう。
きっとアルマンドのサッカーに対する思い入れも、それに近いものであったのではな
いかと推測します。しかし、好意を持って接したウォーレンは気分を悪くしてしまい
脹れてしまったので、ミュージシャンである彼に、音楽を例えに説明すると、彼は、遊
びでもなんでもギターを弾いたら楽しいじゃないか〜と口を尖らせて答えました。コ
イツには何言ってもムダです。
似たような事は、職種についても言えます。ご存知の通り、日本ではレストラン業界
のステータスは非常に低く、どうしても水商売という俗語と切っても切れない印象を
日本人の価値観から拭い去る事は困難です。そして、アメリカでもその状況は全く同
じだと言えるでしょう。
私が、インターンシップをレストランでするとアメリカ人と日本人の友人に話すと、
なぜそんな事せっかくアメリカに来てするのだと、皆な首を傾げていました。私は、
アメリカに来る前からそれを最大の目的とし、その為に毎日勉強し、毎晩それを想像
しては胸を膨らませていました。私にとっては、“アメリカでレストランで研修す
る”と言う事は、莫大な時間とお金を費やしたも決して惜しくない価値のある行為な
のです。しかし、その価値を共感できる人は誰一人私の周りにはいませんでした。
インターンシップが始まり、今私はフランス人と仕事をしています。数日前に、私が
上記のアルマンドの話とアメリカと日本のレストラン業界のステータスの話をオー
ナーであるアクセルとヘッドウェイターであるフランソワに話すと彼らはフランスで
のギャルソンの誇りと社会的ステータスの高さを話してくれました。
フランソワは、2年間フランスのレストラン学校に行き、その後1年間ソムリエス
クールに通いワインの資格を取りました。アクセルに到っては、16歳から20歳ま
で、五年間もフランスのレストラン学校で料理、ワイン、サービスから経営に至るま
で勉強しています。そして、フランスにはその様なプロとしてのギャルソンを育てる
学校が山のようにあるそうです。それは一体何を意味しているのでしょう?
それは、他ならぬフランス社会がレストランでウェイター業を追求しそれを全うする
という人々の人生に、社会的な多大なステータスを捧げていると言えるでしょう。ア
クセルもフランソワも自分がギャルソンである事を強く誇りに思っています。彼らが
ギャルソンになろうと決意したのは、彼らが10代前半の時です。アメリカや日本
で、その時点でウェイターに憧れる中学生が一体何人いる事でしょう?
最近のマスコミの影響で、ソムリエを目指す日本人が多くなったと聞いています。そ
れを、鼻で笑っている人がレストラン業界に沢山いる事も聞いています。しかし、私
は大賛成です。
短期間でのワインブームの盛り上がりですから、その影響も異常である事は致し方な
いでしょう。しかし、数の向上は競争を激化し、質の向上を促す事はアダムスミスが
唱えた通りです。そして、それがレストラン業界を良い意味で刺激し、大勢でそのレ
ストラン業界の素晴らしさ、奥深さを社会に認知させ、一つの列記としたステータス
をその業界で働く人達にもたらす事を強く願います。
また、そうする為の大きな要因として、ただ料理や飲み物に熟知しているだけでは不
足であり、社会人として立派に家族を養っていけるという事を証明する必要があるで
しょう。そういう意味でも、競争の激化は、お互い苦しいでしょうが、胃の中の蛙
が、いろいろな業界が自由に堂々と泳ぎ回る大海へ飛び出す為の必須事項であると思
います。私にとっては良いプレッシャーです。しかし、ここアメリカで冷凍ピザを一
口一口食べ私の舌を破壊していく度に、それが不安へと変わっていくのですが・・・
・・・。
私がこの業界で生きていこうと決意した時は、20歳の時でした。切っ掛けはアルバ
イトです。もしそのバーでアルバイトをしていなかったら、バーテンダーになろうな
どとは思わなかったでしょう。つまり、その業界に入る事無しにその素晴らしさを知
る事は日本では非常に難しいという事です。フランスでは、それは普通に生活してい
れば、自然に誰もが認められる価値観なのですが・・・・・。
私はそのバーで、まずバーテンダーという仕事の面白さを覚え、時が経つにつれて奥
の深さを思い知らされのめり込み、そして20代半ばに差し掛かった時、ビジネスと
しての可能性の低さと、バーテンダーである私の社会人としての立場の苦しさに気が
つきました。
その折、ちょうど東京で世界カクテルコンペティションが開かれる事を知り、当時も
やもやと私の頭を満たしていた物を払拭する切っ掛けになればと思い、チケットと期
待をぶら下げ、会場である新高輪プリンスホテルに向かいました。
そのコンペの内容は雑誌等で確認して頂くとして、私がここで言及したいのはその時
の会場の様子です。そのセレモニーでも、バーテンダーの社会的地位について言及さ
れていました。それに反対する人達は、その会場に一人もいなかった事でしょう。そ
して、その大勢がバーテンダーかバーに関わりを持っている人達であったと思います。
しかし、多くはなかったにしろ、その何人かは、イカレタ髪型に、気色悪い色のスー
ツ、耳にはピアスをはめ、誰が見ているか分からないパーティ会場でチンピラじみた
態度で肩を揺らし、床に座ってタバコを口に咥え、ばか笑いしていました。
もちろん、個人の自由を私は否定しているわけではありません。子供ではありません
から、自分の好みに合わせて見につけるものぐらい私も選びたいと思っています。し
かし、今日本で社会的に認められている業界の方々で、例えば銀行員の方が、フォー
マルなパーティの場で、茶色の長髪にピンクのスーツをはおり、くわえタバコで床に
座り、ばか笑いしているのを私は見た事がありません。そして、自由の国ここアメリ
カでも、その様な事は決して有り得ません。
つまり、社会に認めさせる為には、こちらからバーテンダーという物を社会に発信す
るだけでなく、同時に社会の価値を受け入れるという事も必要ではないかと思うので
す。“分かってくれ、分かってくれ”と懇願するばかりで、相手の求める事を受け入
れないのは虫ずが良すぎるのでは考えます。
また、社会的ステータスを挙げるもう一つの大きな要素として、飲食業界全体が、
もっと利益の確立された業界の仲間入りをしなければならない事が挙げられるでしょ
う。その為には、今以上の市場が要求される事は明白です。しかし、フランスと比べ
ても、それは決して日本では難しい事ではないでしょう。何と言っても“金持ち日
本”です。中流家庭以上の人々の割合がこんなに高い国もないでしょう。商品のレベ
ルはかなり高い事は周知です。サービスの技術も向上傾向にあると聞きます。残るは
それらをどうやって潜在的な市場に披露するかという事が課題ではと考えます。マス
コミの宣伝は、一部の方々には影響は強いと言えます。しかし、その方々は潜在客に
は含まれていません。それに、その方々は飲食業界を既に認めてくれています。
つまり、マスコミの一時的なカンフル剤だけでなく、根本から日本人の飲食業界に対
する認識を覆す必要があるのではと考えます。その為には、鶏と卵ですが、やはり社
会的な要求を受け入れ、その質を向上させる事が不可欠と言えるでしょう。
そのカクテルコンペで、ますます自分が求める事に不安を覚え、何とかしなくてはと
考えていた折り、ある方から、このホームページを与えてくれた“無垢”の渡辺さん
を紹介して頂きました。と言っても、ただお店に飲みに行き、お話をさせて頂いただ
けです。また、上記の様な込み入った話ではなく、シングルモルトやカクテル、グラ
スの事、そこから派生して軽く映画の話をしただけです。しかし、それまでの頭の中
のモヤモヤとした霧はすっきりと晴れあがり、私は帰りの電車で、はっきり言葉で言
えないまでも何か糸口の様な物が見えたと感じました。そして、家に帰り何とかその
お礼が言いたく、生まれて初めて“義務的でない手紙”を書いた事を覚えています。
それから目を外に向け、ポジティブな考えだけを交錯させ、それから数ヶ月後にこの
アメリカ留学を決心しました。
スイスのホテル学校も考えました。レストランに携わるのならとフランス留学も考え
ました。では、なぜ日本と同じ様に、飲食業界のステータスの低いアメリカにしたか
と言うと、アメリカのスモールビジネスのパワーの秘密を知りたかったと言う事が挙
げられます。上記の事を考えた時、まず“金儲け”を学ぶならヨーロッパよりアメリ
カと悟りました。“先立つものは金”と言い聞かせての事ですが、やはり本場のサー
ビスをしっかり学びたいという気持ちを押さえていた事も事実です。
私は非常にラッキーだったと思います。アメリカでスモールビジネスのクラスを取っ
たり、幾つかの会社のオーナーにインタビューしたりで、ある程度ですが、第一の目
標は少し見えてきた様な気がします。そして、入国以前にあきらめていたヨーロッパ
のフランスの“もてなしの心”をこのアメリカで、しかも英語で、思いもよらず学ぶ
事が出来たからです。フランスでレストランに押しかけ、研修させてくれと言って
も、不可能ではないにしても、なかなか一年の留学では難しいでしょう。それに私は
フランス語は話せません。それにマキシミリアンでの、私の“お抱え先生”は三つ星
レストラン アルページュで修行したフランソワです。フランス語の放送禁止スラン
グ用語の先生でもありますが・・・・・。ちなみに私は彼の日本語の先生でもありま
す。今既に彼は、レストランでの挨拶からトイレの場所に到るまで日本語で言えま
す。ただ、英語で、トイレの場所を聞いてくれないと答えられませんが・・・・・。
また、マキシミリアンの一人のギャルソンでありオーナーでもあるアクセルは、常に
自信に満ち溢れ仕事をしているのは前述した通りですが、一歩レストランの外に出れ
ば、この方以上の紳士を探すのは難しいのではないかと思うほど素晴らしい人物で
す。なかなか忙しい方ですので、フランソワの様に気軽に話懸けたり出来ないのです
が、見ているだけでいろいろな面で勉強になります。
インターンシップの期間は、たった3ヶ月です。残り2ヶ月しかありません。しか
し、マキシミリアンに潜在している私にとっての宝は、残り二ヶ月では多すぎます。
どれだけ自分の体に吸収させられるか分かりませんが、何とか一つの形に出来たらと
懇願します。そして、それが将来の飲食業界の発展に少しでも貢献出来る事を願って
やみません。
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