第四十三夜 1999年2月23日

< 将軍 アクセル >

先日の土曜日のランチが終了した後、オーナーであるアクセルと二人でまかないを食 べている間、ずっとレストランでのサービスについて話していました。彼は卒業する事が難しいと 言われているフランスの五年制のレストラン学校に行っており、そこで料理、ワイン、サービス、 マネージメントまで全てを学んでいます。その為、彼はウェイターとしてレストランで 働いていて若い時からお客様に料理などの質問を受けて、“少々お待ち下さい”などと 言ってキッチンへ駆け込むような事は一度もなかったそうです。ヘタなコックよりも料理についても 熟知しています。もちろんサービスに至っては申すに及ばず、素晴らしいの一言です。彼はフランスで レストランで働いた経験は五年弱らしいですが、彼がその学校に行っている間の夏休みと冬休みはフ ランス各地の有名レストランに研修に行っており、様々な角度から、しかも十代の頃 から一流に触れていました。

アメリカ人は、ウェイターをただの“お運びさん”と見なしがちですが、ここマキシミ リアンにアクセルのサービスを期待して足を運ぶお客様は少なくありません。しか し、オーナーになってからは、自分のテーブルを持ち、前菜からデザートまで自分のお 客様をサービスする事は出来ません。オーナーとして、全てのテーブルをまんべりな く回り、全体を見渡さなければならないからです。それでも、決して一流店ではありま せんので、忙しくなればウェイター達の尻を叩きながら、料理やワインをサービスし たりしますが、私にとってその一瞬は決して見逃せない勉強の時間になっています。 また、その瞬間のアクセルにサービスされたお客様の本当に満足そうな表情は、これから私がサービスを 追求していく為のバロメーターになる事でしょう。あれが心から満足した時の表情なのだと。

そのまかないを食べながらサービスの話をした後、アクセルがテーブルから立ち上がりなが ら、不意に“今週のお客様はラッキーだ。”と私に言い、ニヤッと笑いました。私は ハッと気がつきました。ヘッドウェイターであるフランソワがその日から一週間の ヴァケーションを取っており、その代わりにアクセルがそのフランソワのテーブルを 担当する事になっていたのです。

私はランチが忙しかった為か、やや疲れが残っていたのですが、そのアクセルのセリフ を言った時の表情を見た瞬間、異様な緊張が走り、ディナー開始が待ちどうしくて仕 方ありませんでした。最初の予約は5時30分です。

予定よりやや遅れてお客様が到着しました。私がそのお客様を予約席へ案内しようと 連れて行くと、ちょうどそのテーブルのお客様から見て向かい側に、片手を軽く椅子 に掛けニコニコと微笑みながらお客様を出迎えるアクセルが見えました。それを見た お客様は、それだけで表情が変わり、そのディナーへの期待で溢れ、出迎えた私の存 在などどこかへ行ってしまったかのように、アクセルへと惹き込まれるように席へ着 きました。

軽くジョークを飛ばしつつ世間話をし、それから食前酒、料理、ワインのオーダーを 取りました。通常であればその一行で済んでしまうような仕事です。そして、ほとん どのウェイターはそれで終わりにしてしまうでしょう。しかし、実際にアクセルがし た事は、目に写る事は確かにそれだけですが、お客様の心に映った彼の仕事は100 行あっても、いや何行あっても書ききれるものではなく、決して文章などで表現でき るレベルの物ではないと言えるでしょう。

とにかく見事です。一つ例を出すと、そのお客様はシャンパンをオーダーしました。 多くのソムリエがワインやシャンパンをお客様の目の前で開ける時は、どうしてもそ の真剣さが表へ出て来てしまい、お客様の全神経までソムリエナイフへ惹き込むよう な印象があります。それを好むお客様もいるかもしれませんが、私はそういう方に こそ、是非アクセルがワインやシャンパンを開けるのを見て欲しいと思います。と言っ ても、見る事は難しいですが・・・。と言うのは、いつの間にか開いてるのです。

その時もそうでした。お客様にラベルを見せ、確認をして頂くまでは普通のソムリエ と変わりません。しかし、普通のソムリエが“さ〜これからワインをあけますよ〜!”と言 わんばかりに、顔を真剣さでイッパイにするのと対照的に、アクセルはお客様の顔を見 てニコニコと微笑み、お客様の話を聞きながらジョークで返し・・・・とその瞬間には シャンパンは開いてるのです。もちろん物音一つしません。

そのお客様は同じシャンパンをもう一本オーダーしました。アクセルが私を紹介して くれて、そのシャンパンを私が開ける事になりました。シャンパンを音を消して開け る事ぐらい私にも出来ます。しかし、結果としてお客様の会話までも私は消してしま いました。そのお客様は私の手元をずっと見ていました。アクセルの時は、そのお客様 二人共アクセルの目を見ていました。

私のサービスの中には、神経の波があります。つまりお客様を迎えるとき、食前酒の オーダーを取るとき、料理の相談を受けるとき、ワインの味を表現する時、料理を サーブする時、ワインを開けサーブする時、全てテンションがそのサービスの種類に よって変わってしまいます。つまり、水をお客様に注ぐ時と高価なワインを注ぐ時と では、間の取り方も表情も含めて神経そのものが変化すると言う事です。

アクセルは全てが一定です。全て彼の独特のリズムの中でまっとうされます。もちろん高 価なワインとテーブルワインでは扱い方は異なりますが、彼のリズムの中で同じテン ションの状態で事が進んでいく事に関しては一緒です。

また、フロアーを歩く彼の姿も特筆すべきサービスの一つとして挙げられるでしょ う。テキパキ歩くのですが、どこか優雅さがあり、見かけはゆったりとしているので すが、実際の彼のスピードは非常に早く、全ての仕事が効率的に消化されます。ま た、テーブルに坐ったお客様との握手の仕方も、決して真似できないようなスムーズ さです。更に、私が是非彼から盗みたいと思っている技術はお客様のテーブルに入る 間の取り方です。レストランのサービスで、会話をしているお客様のテーブルに入る 事は非常に難しい事です。誰もがそのタイミングに悩まされる事だと思います。しかし、アクセルに してみれば何の事はありません。彼の動作、雰囲気、オウラがそのテーブルのお客様 を柔らかく包んでしまう為に、話を続けたいお客様にはその会話を壊す事なく自然に その空間だけに溶け込み、そうでないお客様にはこれも自然にその会話に入り込めて しまうのです。そして、その時の彼のリズムも全て一定です。

その夜のお客様でハリウッド女優のようなきらびやかな女性と、“かなり儲かっちゃっ てます”というような叔父様のカップルがフロアーに入ってきました。私を含めて皆ス タッフは緊張してしまいモタモタしてしまいました。その二人は初めてマキシミリア ンに来たらしく、思ったよりカジュアルな造りにやや不満気な様子でした。その上、落ち 着きのないスタッフ達がそれに拍車を掛けてしまったと言えるでしょう・・・・。

私が女性の椅子を引き、恐る恐る坐らせた瞬間アクセルが現れました。彼は、お互い斜めに坐った女 性と男性の肩の後ろの椅子の角に手を当て腰を少し曲げそのお客様の後ろから顔を出 し挨拶しました。たったそれだけです。たったそれだけで、それまでムスッとしてい たプラスチックの様な二人の顔を人間らしい笑顔に豹変させ、満足そうな表情にしてしまったのです。 圧巻です。

そのお客様はラストオーダーぎりぎりに入ってきました。約10時ぐらいです。マキ シミリアンでは、土曜日は観光旅行者の為に朝の7時30分から朝食を出しています。 その日アクセルは朝の6時に出社しています。そして、休憩はランチの後のまかないを食べ た15分だけです。交代で休憩を取ったりしません。昼前にスキを見てタバコを ちょっと吸っただけです。しかもその前日の金曜日にアクセルが家に帰ったのは夜中 の1時過ぎです。その5時間後には出社しそれから16時間働き続けた後でその笑顔 のサービスです。

当然お客様にはその様な事全く関係ない事ですし、プロとしてその様な背景をお客様 に感じさせない事は鉄則です。しかし、その異常な状態でもその鉄則を守り通し、か つそれ以上の仕事をやってのけるアクセルを私は心から尊敬します。

アクセルはサービスのポリシーに関してはかなり熱く語りますが、決して自己啓発の 本に書かれているようなキレイゴトは言いません。しかし、彼の仕事に対する姿勢を 見ていると、その首尾一貫とした彼の心意気からその様な本を何冊読んでも覚束ない ような刺激を感じます。普段はスタッフとふざけたりなどしてマッタク職人気質を見 せないアクセルですが、私はこの方こそ本当の職人エキスパートだと感銘を受けています。

去年アクセルはこのマキシミリアンを新オーナーとして引き継ぎました。彼から一つ だけ将来のアドバイスを貰った事があります。“一生懸命働けばチャンスは来る。” そう言って彼はニコニコっと笑いました。小学生でも言える程度のセリフです。何の 裏付けもない長ったらしいキレイゴトをいう人は沢山いますが、一言でこれほど重み を感じさせる事ができる人はそう多くはいないと思います。

サッカーの元フランス代表である“将軍”と称えられたミッシェル プラティニをア クセルはこよなく尊敬しています。アクセルの“蝶の様に舞い、蜂の様に刺す”サー ビスはプラティニのプレイを思い出させるものがあります。しかし、まだマキシミリ アンの将軍は天下統一には残念ながら到達していません。レストランはまさにチーム プレイです。バーの様にスーパースター一人の力で大繁盛させる事は出来ません。フ ランソワという素晴らしい参謀を得たのが2年前。新オーナーとして今様々な面で チャレンジが多い時期ですが、いつかその“将軍 アクセル”の名が広まる事を心か ら切望します。・・・・今は東洋のサムライのおチャメな?失敗のカバーで大変そう ですが・・・・・。

 

第四十二夜 1999年2月16日

< 異常な贅沢な悩み >

このエッセーを書き始めてから、幾度となくアメリカへの移民やアメリカでの就職に 関して触れた事があったと思います。そして、留学生から難民まで含めて、ほとんど の人々は祖国を懐かしみ、又祖国で、出来る事なら働き家族と共に暮らしたいと願っ ている事と、反対に日本人の多くは日本を離れアメリカでの就職を望んでいるという その世界とのギャップにも言及しました。

私のインターンシップ先のマキシミリアンにはフランス人だけでなく、ギニア人とメ キシコ人の皿洗いがいます。ギニア人の方はかつては大使館で働いていました。しか し、アメリカへの移住を決意し、今市民権を取る為にいろいろと模索しています。彼 はグリーンカードは持っているのですが、それでは家族を呼ぶ事が出来ない為、なん としても市民権を獲得しなければならないと語っていました。

もう一人の皿洗いのメキシコ人は亡命してアメリカに来たそうです。つい最近まで、 彼に関して詳しい事はさっぱり分かりませんでした。理由は、最初の一ヶ月の間、全 く私と口をきいてくれなかったからです。おそらく、自分は国を捨てて必死でアメリ カに辿り着き、生きる為にそこのレストランで働いているのに、“経験を増やす為” などといった、彼にしてみれば“うわっついた理由”で研修などしている私を受け入 れられなかったのではと憶測しています。私は、その間なんともいたたまれない気持 ちでしたが、どう対応してよいか分かりませんでした。今までの様に、アメリカ人と のコミュニケーションでのネックであった英語能力や文化の違いの壁が原因ではあり ません。そういった障害は、“好奇心を伴った勇気と笑顔”でなんとでもなります。 つまり、“お互い相手を気遣う”といった恵まれた環境に住む人間同士のみに可能な 解決策で。

彼が初めて私に話掛けてくれたのは、つい最近の事です。理由は分かりません。先日 のバレンタインディナーの時、(アメリカのレストランでは、クリスマスは暇です が、バレンタインは異常な忙しさです。日本と反対です。)私は、アクセクしながら 働いていました。ちょうどキッチンへ入り、オーブンからパンを出そうとした時で す。オーブンのドアを開けると、その開くスピードに合わせて“ニャ〜オ!”という 猫の様な人間の声が聞こえました。私が驚いて横を見ると、洗浄機の横から、帽子を かぶった顔だけチョンと出してニコニコ笑っているヤツがいました。そのメキシコ人 です。私は、またオーブンを閉めて、そしてまたゆっくり開けました。“ワォ〜 !”。今度は・・・・なんでしょう?

とにかく彼が私に心を開いてくれた。私は非常に嬉しくなり、仕事が終わった瞬間彼 に話掛けました。“いつアメリカに来たの?”・・・・・・“知らない。” 私はま ずい事を聞いてしまったと思い意気消沈してしまいました。すると、彼は、“彼女は いるのか?”といきなりニヤニヤしながら聞いてきて、私の肩をポンポンと叩き、そ の後高らかに笑いそのまま家に帰りました。

その次の日から、彼は私と普通に口をきいてくれます。しかし、過去に関する話は全 くありません。当然私から聞くわけにもいきませんし、彼も語ろうとしません。ま た、どうして私と最初の一ヶ月間口をきかなかったのかも未だに明白ではありませ ん。ただ、敢えてそれを知り、ここに描写したとしても、私を含めその彼の心情を理 解する事は誰にも不可能だと思います、日本語で書くかぎりは・・・・。

フランス人であり、今私のアメリカでのベストフレンドであるフランソワは以前も紹 介しましたが、パリの三つ星レストラン アルページュで働いていました。私には、 なぜその様な素晴らしいレストランを辞めて、ギャルソンのステータスの低いアメリ カへ移り住んで来たか理解できませんでした。フランソワには、そのメキシコ人には 聞けなかったその理由を話せる余地はあります。先日聞いてみると、生活の為だそう です。高級三つ星レストランといっても従業員の給料まで高給ではありません。ま た、いくら三つ星レストランといっても、いや三つ星レストランだからこそ、財政面 でかなり苦労しているのは事実らしいです。

ご存知の様に、その格付けはミシュランが行っており、料理、サービス、レストラン の空間から星付けがなされています。全ての基準を満たしてこそ三つ星が獲得できま すが、維持する為には、当然ですが、それまでと変わらない営業または経営を続けな ければならないという事です。それは何を意味しているか?。つまり、人件費を含め た経費を時期に合わせてコントロール出来ないという事です。簡単な例を出すと、特 に郊外の三つ星レストランでは、時期を外せば、満席にならない日が続くそうです。 しかし、その様な時期でもミシュランのスタッフが訪れる可能性はあります。たった 単なる雑誌のヌキウチ取材の為に、誰もいないフロアーに人を立たせておいたり、誰 も見ない個室にまで三つ星にふさわしい非常に高価な花を生けたりしなければなりま せん。当然、人を減らしたり、人件費の安い若い人材を雇ったりといった事もなかな か恐ろしくてできません。その結果サービスや料理の質がちょっとでも落ちれば、た ちまち星を落としてしまうからです。その結果倒産してしまった例が、今パリで復活 したピエールガニエールです。いつ来るか分からない“迷惑な客一組”の為に、毎日 経費を無駄にしていた結果です。パリ市内でさえも三つ星レストランの奮闘は郊外ほ どでないにしても、大変なものらしいです。また、ソーシャルリズムの税金の高さも それに拍車を掛けていると言ってもいいでしょう。

フランソワは、パリで今の奥さんと知り合い、結婚しアメリカに移りました。もちろ ん、アルページュを続けるという選択もありました。しかし、彼はそれを蹴って、大 嫌いなアメリカを選びました。目的は“金”です。

あえて“汚い表現”をしてみました。日本では、“金の為”と言うと、どうしても不 純な行為と見なされがちだと言えるでしょう。“金よりロマン”、“金がなくても・ ・・・”といった諺のようなキレイ文句をよく聞くと思います。“貧乏でも心豊かな 人はいる?”私はいないと思います。というより、アメリカに来てからそう思うよう になりました。人に気を使ったり、優しくしたり出来る人は、まだ本当にお金で苦し んでいるとは言えないような気がします。アメリカで私が出会った人で心優しい人達 は、皆なお金持ちです。バスの中でニコニコと話し掛けてくれたり、“うわっつい た”インターンシップの話などをして“Great!”などと言ってくれるのは、皆 なお金で苦労がない人達です。以前のエッセーで、シアトル南部の黒人街の事に触れ たと思いますが、人に気を使うなどといった事は全く感じられません。自分の足元を 固めるのが精一杯といった印象を受けます。

話をフランソワに戻しますが、彼は今すぐにでもフランスに帰りたいと願っていま す。そして、彼はいつか必ずフランスに帰ると決意しています。アメリカでウェイ ターという仕事はステータスはありませんが、フランスでのギャルソンより数段稼ぎ は良いと言えるでしょう。チップの有無が原因です。しかし、フランスに帰れば、仕 事のステータスは上がるかもしれませんが、稼ぎは減ります。彼の頭の中にはそう いった事が蔓延している事でしょう。その彼に最近一つ抜け道が出てきました。シャ ンパンのブーブクリコ社から、彼に営業部のマネジャーをやらないかとの話が舞い込 んできたのです。(これは店では絶対内緒の話ですが、日本語なら平気だと思います のでここに明かします。あ〜すっきりした!)フランソワが素晴らしいギャルソンで ある事は皆が認める事であり、自分でもそれを自覚しています。しかし、彼の心は ブーブクリコに傾いていっています。給料が増えるだけでなく、生活も安定する。労 働時間が一日14時間から人並みになる。家族と一緒にいる時間が増える。そして、 いつかフランスに帰るチャンスも大きくなる。しかし、お客様にワインを選ぶ事は続 けられても、注ぐ事は出来なくなる。彼はまだ決断をはっきりとは出していません が、ほぼマキシミリアンを辞める覚悟は出来ています。

私はアメリカに来て数ヶ月経った時、グリーンカードの抽選に応募しました。そし て、今までいろいろな人とここアメリカで出会い、日本人の多くが抱えている“異常 な贅沢な悩み”や“うわっついた思考”、また日本という国がどれほど我々日本人に 他の国では不可能な素晴らしい環境を与えてくれているかという事を忘れてしまい、 “退屈だ”とか“ストレスが貯まる”といった“恩知らずな理由”で会社を辞め、隣 の芝の青さに惹かれ、実はもっと厳しいアメリカで生活したいなどと金に物を言わせ てやってくる日本人の移住希望者をヒドク嫌うようになっているにもかかわらず、な ぜか心のどこかでグリーンカードの当選を願っています。

マキシミリアンで出来るだけいろいろな事を学びたい。インターンシップは延長でき る。しかし、貯金には限界がある。給料は安くてもいいから正社員として何年か働け ないだろうか?

とてもそのギニア人やメキシコ人には言えません。また、フランソワに言ったとして も、気持ちは分かってもらえるかもしれませんが、“まだまだ甘いな”と思われる事 でしょう。また、呆れられるかもしれません。

日本人だけで話していれば、私の理由を正当化する事はいくらでも出来ます。しか し、その日本人の中で通用する正当化された理由は、他の国の人にとってみれば、 “甘ちゃんの戯言”となってしまうでしょう。ちょうど高校生の恋の悩みを聞い て、”ま〜ったく、世間知らずってのはいいね”などと見下してしまうのと似ている のではと思います。

私自身、日本は好きですし、日本で働く事に何も嫌な事はありません。ただ私は、・ ・・・・・・・・・・やっぱり戯言ですね。今回は結びのセンテンスが見つかりませ ん。しかし、恥はこの辺りで止めておいた方がよさそうですね。

 

第四十一夜 1999年2月8日

< フランス料理はフランス人の物? >

シアトルは、アメリカではグルメの街と言われるだけあり、様々なレストランが軒を 連ねています。しかし、私もこちらに来ていろいろ食べて回りましたが、値段と見合 わせて本当に満足のいくレストランはなかなか見つけるのが一苦労です。特にイタリ ア料理。イタリアンレストランと言っても、ほとんどがパスタとピザ屋であり、本格 的なイタリア料理を食べさせてくれる店はあまりありません。それでも、美味しいパ スタとピザを供しているのなら満足いくのですが、例えばスパゲティに関して言え ば、アルデンテとはほとんど縁がなく、またソースも大味で、最後まで食べる事を拒 ませ、しかしなぜか塩が全く足りない、といった店がほとんどです。また、ピザは・ ・・・・、あれはパンです。パンに七面鳥だのブロッコリーだの何でものせてお腹 イッパイ食べれば良いといった物です。

しかし、メキシコ料理と中華料理に関しては、日本と変わりなく美味しい料理を食べ させてくれる店が沢山あります。特にメキシカンレストランに関しては、私が日本で 食べた以上に満足させてくれるレストランが多く、ラテンアメリカのフレンドリーな サービスも手伝って、私のアメリカでの“食のシェルター”代わりになってくれてい ます。

このレストラン状況は、疑いなくアメリカへの移民の数に比例している事は明白であ ります。では、気になる和食はといえば・・・・分かりません。以前二軒ほど顔を出 しましたが、“三度目の正直”を試みる勇気を持てず、どうしてもその二軒が“二度 ある事は三度ある”という弱気な諺を更に強く蘇らせる悪影響のみを私の脳裏に染み 込ませてくれました。ただ、日本人が経営しているレストランもあると聞きますので 今度機会 があればチャレンジしてみようと思います。また、これだけ日本人が多 い街ですから、ダウンタウンに一軒でも美味しいラーメン屋があれば大繁盛すると思 うのですが・・・・。

また、フランス料理に関しては、料理のレベルで言えば、間違いなく日本のフレンチ レストランが上だと言えると思います。アメリカのフレンチも見かけは美しいのです が、食べてみてどうしても拍子抜けしたような味の店が多く、食べ終わってみて、お 腹はイッパイなのに物足りないという不思議な印象をいつも覚えます。

私のインターンシップ先のマキシミリアンのシェフとスーシェフはフランス人です。 彼らに上記の事を聞いてみましたが、まともな返事は返ってきませんでした。“コー ラとハンバーガーを食べて育ったヤツラにウマイ料理は作れない。”それだけです。 私が先日カンパーニャというフランス料理のレストランに行ってきたというと、“そ れはお気の毒に”、といきなり答えました。カンパーニャの料理も決してまずくはな いのですが、どうもピンぼけといった印象である事は事実ですが・・・・。

彼らとフランス料理の話をしていると、はっきりとは言いませんが、どうも美味しい (本物の)フランス料理はフランス人にしか作れるはずがないといった事を暗示して いるような答えがいつも返ってきます。彼らはアメリカ人と違い、皮肉が大好きで す。アメリカ人はよっぽどの事がないかぎり、他のレストランの悪口を決して言いま せん。カンパーニャに関しても、“Good!”と繰り返すだけで、決して揚げ足を 取ったりと言った事はありませんでした。しかし、奴等フランス人は、上記の“お気 の毒に”発言の次に、いきなり人差し指を口に入れ、“ゲ〜”とほざき、その後4人 で大笑いしていました。

いつもその皮肉の対照になるのは、アメリカのフレンチレストランですが、どうも彼 らの言い草では、日本のフレンチレストランも同じように見られているのではと疑 い、私が日本から持ってきた日本のフレンチレストランの本を持って行き、彼らに見 せ付けてやりました。日本のフレンチを支えているシェフ達は、フランスでの修行経 験があり、フランスの有名シェフ達とも交流があると聞いていますし、またその料理 のレベルも、フランス以外の国ではNo1だと、あるフランス人シェフが語っていた 雑誌を読んだ事もあります。マキシミリアンのフランス人達はそんな事全く知りませ ん。その中の一人スーシェフのウィリーは、日本にフレンチレストランがある事すら 知らなかったのですから。私はその本を見せて、彼らがどれだけ驚くか楽しみにして いました。そして、他人が作った料理ですが、同じ日本人としてかなり自信を持って いました。

しかし、彼らの反応は意外に寂しく、“面白いね”と言ってニヤっと笑ったのみでし た。フランソワだけが、“キス”ってどんな魚なの?と聞いてきたぐらいで、特に ウィリーはテンデ相手にしてくれませんでした。私は何とも複雑な気持ちになり、お もわず何か感想をくれと尋ねました。するとウィリーは、“カズトはシアトルの和食 のレストランをどう思う?”と言い返しました。私は愕然としてしまいました。

次の日、ロッカーでフランソワと一緒になり、先日知った“ボルドーで活躍する日本 人ソムリエ”の話をしました。ボルドーで日本人でありながら、“生き字引”と賞さ れ活躍していると言うと、彼は不意に“日本酒の有名産地はどこだ?”と聞いてき ました。私が新潟だと答えると、“ニイガタで活躍するフランス人の日本酒の生き字 引がいると聞いてカズトはどう思う?”と聞き返されました。

英語圏以外で育った人間は、何年勉強したところで完璧な英語は話せないというのは 事実らしいです。どうしても、第一言語が邪魔をして、第二言語が入ってくるのを妨 げるそうです。確かに、日本語が上手な外国人はいますが、日本語を日本人のように 話す外国人はいません。必ず多からず“アクセント”は残っています。もしかした ら、料理でも同じ事が言えるのかも知れません。生まれてから日本食を食べ続けてい る日本人には、フランス料理を作る上で多少のハンデキャップがある事は自然に考え られます。有名フランス人シェフ達が、日本のフランス料理を高く評価しています。 しかし、日本語がある程度話せる外国人を、例えアクセントが残っていても、我々は “すごい”と褒め称えます。あまり外国語を勉強した事がない日本人は、その日本語 を正直に“変なしゃべり方”と笑う人もいるかもしれません。和食に全く興味のない フランソワやウィリーのように。

私が、上記の様に考えていたのは今から10日程前です。その時は非常に残念な思い と悔しさでいっぱいでした。私の感覚では、日本人のフランス料理のシェフの方々の 努力と功績は素晴らしいものであると今でも信じています。そして、今10日程前 に、“言語”を例えに料理を考えた自分を馬鹿だと思っています。

先日、本屋でフランス料理の本を立ち読みしていました。“ここ何年か世界中で最も 予約を取る事が難しいフランス料理店”と書かれ、どうせ“アランデュカス”だろう と憶測しながら読むと、“スイスのジラルデ”と大きく書かれていました。私もその 名前は以前から聞いた事がありましたが、すっかり忘れていました。そのレストラン に関する情報を私はあまり持っていませんが・・・・・とにかくスイスです。フラン スではありません。

サッカーはイギリスで生まれました。柔道は日本です。しかし、現在ではその“最高 レベル”は、必ずしもそれらとは一致しません。オリンピックで柔道日本代表が負け た時は、ただの敗戦ムード以上の寂しさが起こり、決してそれを認めたくないため、 必死で“負け惜しみ”を言いたくなるのが人の常です。皮肉が大好きなフランソワと ウィリーもそれと同じ気持ちを持ったのかも知れません。

“言語の例”を馬鹿げてると言いましたが、もしかしたらスポーツより良い例かもし れません。日本で生まれてずっと日本語を話している普通の日本人より、しっかり日 本語を勉強した外国人の方が、正確な日本語を話す事も事実です。更に、そういう外 国人の方が、“レベルの高い単語”で、“レベルの高い言語”を話すのもまた事実で す。

料理もきっと同じでしょう。和食もフランス料理も出汁が大切の事は共通していま す。素材(単語)と調理法(発音)の違いを確認すれば、日本人の特徴(アクセン ト)は残るにしても、努力次第で“レベルの高い料理(言語)”は可能だと言えるで しょう。

同時にアメリカのフランス料理の“ピンぼけ”の原因も見えてきました。要は、“ア メリカ人の特徴”が残っていると言う事です。チーズバーガーとコーラで築かれた (傷かれた?)味覚が残ってしまっていると言う事でしょうか?

 

第四十夜 1999年2月2日

< 飲食業界のステータスの向上を! >

各国々によって、様々な分野に対して価値観が異なる事は鮮明な事実です。前回紹介 した私のラテンの友 アルマンドの国ブラジルでは、ご承知の通りサッカーが非常に 盛んであり、単なるスポーツという領域を脱しています。 アルマンドも例外なくサッカー狂です。彼もかつてはプロを目指しており、実力はな かなかだそうです。そして、ブラジル人にとって、くり返しますが、サッカーとは単なるスポーツではな く、ある意味、一つの哲学的意味合いも兼ね揃えており、特にアメリカ人がサッカーを単なる玉蹴りという ように扱おうものならムキになって怒ります。

ウォーレンがアルマンドに、友達のサッカーチームに遊びで出ないかと問い掛けてきま した。もちろん、ウォーレンの好意からです。私もそれを聞いていて、アルマンドは喜 ぶだろうなと思いましが、意外にもアルマンドは顔をしかめ、“NO”とはっきり断り、 ブラジルサッカーを汚さないでほしいと言って部屋に入ってしまいました。ウォーレ ンの冗談交じりのサッカーを馬鹿にしたような態度にも問題があったのかもしれませんが、常に冷静なアルマンドが急に胸を詰まら せた態度をとったので大変驚きました。彼はプロではありませんが目指していただけあり、サッカーに対する思い入れも人一倍強いの でしょう。その価値を分かっていない人にサッカーを軽んじられた印象を持ったのではないかと思います。

私は、何となく彼の気持ちが理解できます。以前、友達の家に遊びに行った時、数種類の リキュールとジュース、それにシェイカーもあるからカクテルを作ってくれと頼まれた事が あります。彼に悪気はないのは分かっています。しかし、その時の私には、どうしても 作る気になれませんでした。すると、彼はシェイカーに氷を入れ、笑いながら、そしてふざけ ながらシェイカーを振り出しました。彼が自分で楽しむ為に買った自分のシェイカー です。しかし、それを見て私は、何ともいたたまれない気持ちになった事を思い出しま す。彼にとっては遊びでも、私にとっては真剣な世界なのだと心の中で叫んでいたと思 います。知らない人には、どうと言う事ではないかも知れませんが、私にとっては神聖 な世界であり、それを知らない私の友人がその枠に土足で入ろうとした為に、バーテン ダーとしての私がそれに拒絶反応を起こしたのでしょう。

きっとアルマンドのサッカーに対する思い入れも、それに近いものであったのではな いかと推測します。しかし、好意を持って接したウォーレンは気分を悪くしてしまい 脹れてしまったので、ミュージシャンである彼に、音楽を例えに説明すると、彼は、遊 びでもなんでもギターを弾いたら楽しいじゃないか〜と口を尖らせて答えました。コ イツには何言ってもムダです。

似たような事は、職種についても言えます。ご存知の通り、日本ではレストラン業界 のステータスは非常に低く、どうしても水商売という俗語と切っても切れない印象を 日本人の価値観から拭い去る事は困難です。そして、アメリカでもその状況は全く同 じだと言えるでしょう。

私が、インターンシップをレストランでするとアメリカ人と日本人の友人に話すと、 なぜそんな事せっかくアメリカに来てするのだと、皆な首を傾げていました。私は、 アメリカに来る前からそれを最大の目的とし、その為に毎日勉強し、毎晩それを想像 しては胸を膨らませていました。私にとっては、“アメリカでレストランで研修す る”と言う事は、莫大な時間とお金を費やしたも決して惜しくない価値のある行為な のです。しかし、その価値を共感できる人は誰一人私の周りにはいませんでした。 インターンシップが始まり、今私はフランス人と仕事をしています。数日前に、私が 上記のアルマンドの話とアメリカと日本のレストラン業界のステータスの話をオー ナーであるアクセルとヘッドウェイターであるフランソワに話すと彼らはフランスで のギャルソンの誇りと社会的ステータスの高さを話してくれました。 フランソワは、2年間フランスのレストラン学校に行き、その後1年間ソムリエス クールに通いワインの資格を取りました。アクセルに到っては、16歳から20歳ま で、五年間もフランスのレストラン学校で料理、ワイン、サービスから経営に至るま で勉強しています。そして、フランスにはその様なプロとしてのギャルソンを育てる 学校が山のようにあるそうです。それは一体何を意味しているのでしょう? それは、他ならぬフランス社会がレストランでウェイター業を追求しそれを全うする という人々の人生に、社会的な多大なステータスを捧げていると言えるでしょう。ア クセルもフランソワも自分がギャルソンである事を強く誇りに思っています。彼らが ギャルソンになろうと決意したのは、彼らが10代前半の時です。アメリカや日本 で、その時点でウェイターに憧れる中学生が一体何人いる事でしょう? 最近のマスコミの影響で、ソムリエを目指す日本人が多くなったと聞いています。そ れを、鼻で笑っている人がレストラン業界に沢山いる事も聞いています。しかし、私 は大賛成です。 短期間でのワインブームの盛り上がりですから、その影響も異常である事は致し方な いでしょう。しかし、数の向上は競争を激化し、質の向上を促す事はアダムスミスが 唱えた通りです。そして、それがレストラン業界を良い意味で刺激し、大勢でそのレ ストラン業界の素晴らしさ、奥深さを社会に認知させ、一つの列記としたステータス をその業界で働く人達にもたらす事を強く願います。

また、そうする為の大きな要因として、ただ料理や飲み物に熟知しているだけでは不 足であり、社会人として立派に家族を養っていけるという事を証明する必要があるで しょう。そういう意味でも、競争の激化は、お互い苦しいでしょうが、胃の中の蛙 が、いろいろな業界が自由に堂々と泳ぎ回る大海へ飛び出す為の必須事項であると思 います。私にとっては良いプレッシャーです。しかし、ここアメリカで冷凍ピザを一 口一口食べ私の舌を破壊していく度に、それが不安へと変わっていくのですが・・・ ・・・。

私がこの業界で生きていこうと決意した時は、20歳の時でした。切っ掛けはアルバ イトです。もしそのバーでアルバイトをしていなかったら、バーテンダーになろうな どとは思わなかったでしょう。つまり、その業界に入る事無しにその素晴らしさを知 る事は日本では非常に難しいという事です。フランスでは、それは普通に生活してい れば、自然に誰もが認められる価値観なのですが・・・・・。

私はそのバーで、まずバーテンダーという仕事の面白さを覚え、時が経つにつれて奥 の深さを思い知らされのめり込み、そして20代半ばに差し掛かった時、ビジネスと しての可能性の低さと、バーテンダーである私の社会人としての立場の苦しさに気が つきました。

その折、ちょうど東京で世界カクテルコンペティションが開かれる事を知り、当時も やもやと私の頭を満たしていた物を払拭する切っ掛けになればと思い、チケットと期 待をぶら下げ、会場である新高輪プリンスホテルに向かいました。

そのコンペの内容は雑誌等で確認して頂くとして、私がここで言及したいのはその時 の会場の様子です。そのセレモニーでも、バーテンダーの社会的地位について言及さ れていました。それに反対する人達は、その会場に一人もいなかった事でしょう。そ して、その大勢がバーテンダーかバーに関わりを持っている人達であったと思います。 しかし、多くはなかったにしろ、その何人かは、イカレタ髪型に、気色悪い色のスー ツ、耳にはピアスをはめ、誰が見ているか分からないパーティ会場でチンピラじみた 態度で肩を揺らし、床に座ってタバコを口に咥え、ばか笑いしていました。

もちろん、個人の自由を私は否定しているわけではありません。子供ではありません から、自分の好みに合わせて見につけるものぐらい私も選びたいと思っています。し かし、今日本で社会的に認められている業界の方々で、例えば銀行員の方が、フォー マルなパーティの場で、茶色の長髪にピンクのスーツをはおり、くわえタバコで床に 座り、ばか笑いしているのを私は見た事がありません。そして、自由の国ここアメリ カでも、その様な事は決して有り得ません。

つまり、社会に認めさせる為には、こちらからバーテンダーという物を社会に発信す るだけでなく、同時に社会の価値を受け入れるという事も必要ではないかと思うので す。“分かってくれ、分かってくれ”と懇願するばかりで、相手の求める事を受け入 れないのは虫ずが良すぎるのでは考えます。

また、社会的ステータスを挙げるもう一つの大きな要素として、飲食業界全体が、 もっと利益の確立された業界の仲間入りをしなければならない事が挙げられるでしょ う。その為には、今以上の市場が要求される事は明白です。しかし、フランスと比べ ても、それは決して日本では難しい事ではないでしょう。何と言っても“金持ち日 本”です。中流家庭以上の人々の割合がこんなに高い国もないでしょう。商品のレベ ルはかなり高い事は周知です。サービスの技術も向上傾向にあると聞きます。残るは それらをどうやって潜在的な市場に披露するかという事が課題ではと考えます。マス コミの宣伝は、一部の方々には影響は強いと言えます。しかし、その方々は潜在客に は含まれていません。それに、その方々は飲食業界を既に認めてくれています。

つまり、マスコミの一時的なカンフル剤だけでなく、根本から日本人の飲食業界に対 する認識を覆す必要があるのではと考えます。その為には、鶏と卵ですが、やはり社 会的な要求を受け入れ、その質を向上させる事が不可欠と言えるでしょう。

そのカクテルコンペで、ますます自分が求める事に不安を覚え、何とかしなくてはと 考えていた折り、ある方から、このホームページを与えてくれた“無垢”の渡辺さん を紹介して頂きました。と言っても、ただお店に飲みに行き、お話をさせて頂いただ けです。また、上記の様な込み入った話ではなく、シングルモルトやカクテル、グラ スの事、そこから派生して軽く映画の話をしただけです。しかし、それまでの頭の中 のモヤモヤとした霧はすっきりと晴れあがり、私は帰りの電車で、はっきり言葉で言 えないまでも何か糸口の様な物が見えたと感じました。そして、家に帰り何とかその お礼が言いたく、生まれて初めて“義務的でない手紙”を書いた事を覚えています。 それから目を外に向け、ポジティブな考えだけを交錯させ、それから数ヶ月後にこの アメリカ留学を決心しました。

スイスのホテル学校も考えました。レストランに携わるのならとフランス留学も考え ました。では、なぜ日本と同じ様に、飲食業界のステータスの低いアメリカにしたか と言うと、アメリカのスモールビジネスのパワーの秘密を知りたかったと言う事が挙 げられます。上記の事を考えた時、まず“金儲け”を学ぶならヨーロッパよりアメリ カと悟りました。“先立つものは金”と言い聞かせての事ですが、やはり本場のサー ビスをしっかり学びたいという気持ちを押さえていた事も事実です。

私は非常にラッキーだったと思います。アメリカでスモールビジネスのクラスを取っ たり、幾つかの会社のオーナーにインタビューしたりで、ある程度ですが、第一の目 標は少し見えてきた様な気がします。そして、入国以前にあきらめていたヨーロッパ のフランスの“もてなしの心”をこのアメリカで、しかも英語で、思いもよらず学ぶ 事が出来たからです。フランスでレストランに押しかけ、研修させてくれと言って も、不可能ではないにしても、なかなか一年の留学では難しいでしょう。それに私は フランス語は話せません。それにマキシミリアンでの、私の“お抱え先生”は三つ星 レストラン アルページュで修行したフランソワです。フランス語の放送禁止スラン グ用語の先生でもありますが・・・・・。ちなみに私は彼の日本語の先生でもありま す。今既に彼は、レストランでの挨拶からトイレの場所に到るまで日本語で言えま す。ただ、英語で、トイレの場所を聞いてくれないと答えられませんが・・・・・。

また、マキシミリアンの一人のギャルソンでありオーナーでもあるアクセルは、常に 自信に満ち溢れ仕事をしているのは前述した通りですが、一歩レストランの外に出れ ば、この方以上の紳士を探すのは難しいのではないかと思うほど素晴らしい人物で す。なかなか忙しい方ですので、フランソワの様に気軽に話懸けたり出来ないのです が、見ているだけでいろいろな面で勉強になります。

インターンシップの期間は、たった3ヶ月です。残り2ヶ月しかありません。しか し、マキシミリアンに潜在している私にとっての宝は、残り二ヶ月では多すぎます。 どれだけ自分の体に吸収させられるか分かりませんが、何とか一つの形に出来たらと 懇願します。そして、それが将来の飲食業界の発展に少しでも貢献出来る事を願って やみません。

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