第三十九夜 1999年1月26日

< ようこそ アルマンド ラテンの友! >

新年が明けて三日目に今年最初のアメリカンフードの犠牲者がシアトル タコマ空港 に到着しました。その名はアルマンド。ブラジル人です。私のアラブの友アディーブ がこの家を去り、一部屋空いたが為に又募集をかけ、運悪くそれに引っ掛ったのが彼 でした。約10ヶ月前は私でしたが・・・・。

ホストファミリー(ウォーレンとマリア)と私の三人で空港へ向かへに行き、ウォー レンの手書きの汚い字で“ARMAND”と殴り書きされた、はた迷惑な紙を三人で 持ち、アルマンドが出てくるのを出口で待ちました。

予定よりやや遅くに飛行機が到着し、色黒で背が高くややほっそりとした、おとなし そうな30歳前後の男が我々の方へ笑顔で向かって来ました。彼は、非常に礼儀正し く紳士であり、いわゆるラテン系のドラマチックなイメージとはかけ離れていました。 しかし、その前夜からウォーレンはラテン系はノリが激しいから負けてられないと張 り切っており、そのアルマンドの紳士振りを見ても、前日に急きょ燃やした即席のラ テンの血を消す事は出来ず、アルマンドが近づいてくると、“ペレ、ペレ、ジーコ、 ジーコ、ゴ〜ル!”とワメキながら、サッカーボールを蹴る振りをして踊り始めまし た。空港での注目度100パーセントです。他人のフリを懇願しつつも、手に持った アルマンドと書かれた紙が運命を変える事は拒ませ、私までアホの一味だと思われて しまいました。三日前まで完全なサッカー音痴だった為、話題の少ないウォーレンを 救ってあげようと私が教えたがために、それが裏目に出てしまいました。自業自得で す。

早速、我が家に着き、ウォーレンが夕食の準備をし始めました。その間、マリアと私 で家を紹介していたのですが、だんだんアルマンドの顔付きが歪んでくるのが分かり ました。ちなみにマリアはテンデ気がついていなかったようですが・・・。後から聞 いた話ですが、家の汚さに絶句してしまったそうです。

そうこうしているうちに、ウォーレンが食事の準備を終え、ダイニングルームに集ま りました。その時のメニューは、ウォーレンお得意のスパゲッティとサラダです。スパ ゲッティはやや慣れましたが、私は今だにそのサラダは食べられません。その理由は、こ の家のまな板にあります。キッチン台の引出しのようにまな板が備え付けてあるので すが、木製であり、ウォーレンは洗った事がありません。木製のまな板は、バイキン が繁殖し易い為、特に和食の料亭以外は、多くのレストランで、衛生上その使用を避け ているのが実状であると思います。一月前の卵を食べても平気なアイアン ストマックを持つこの夫婦はい いとして、いくらこの家に慣れたとは言え、その私にも耐え兼ねます。アルマンドは ウォーレンが料理しているのをじっと見ていました。そして、車で家に向かう途中空 腹だと言っていました。しかし、夕食の準備が出来た時点で、彼は満腹だと言い直し ていました。きっと、お腹の上の胸が何かでいっぱいになってしまったのでしょう。 そして、食事をせずに、床に塗られた様々なジャムに気を取られながら部屋に、戻っ て行きました。そして、数分後、彼の部屋から途切れなくクシャミが聞こえてきました。 おそらく過去に経験のないホコリにやられたのでしょう。

私はここに10ヶ月住んでいます。いつの間にか忘れていました、この家がごみ箱で あったと言う事を・・・。私はそれ程気にしない方ですが、アルマンドは完全な潔癖 性です。棚にしまってあるナイフとフォークを食べる前に、必ずもう一度洗い直しそ れから使います。部屋はいつも整理されており、“使った物は必ず元の場所に戻し”、 いつも完全な状態を保っています。ごく当たり前の事ですが、“使った物を必ずその場に置 き去りにする”ウォーレンを長い事見ていましたので、大変新鮮に感じました。

そんな清潔好きなアルマンドですので、以前このエッセーで紹介したあの“地下室” を見せたら“ショック死”してしまうかもしれないと危惧の念を抱き、早速連れて行 きました。アメリカでは“サプライズ パーティー”という形式のパーティーが盛んであ り、主役の人には内緒にしておいて、いきなりドアを開けた瞬間驚かすというアメリ カらしいスタイルです。私も“剛に入っては剛に従え”で何も言わずに、その地下室 へ連れて行こうとしました。しかし、階段の途中まで下りると、アルマンドはいきなり鼻を 押さえ、そこに何があるんだと半分叫びながら私に問い掛けました。ちなみに私はそ の時点では何も匂いませんでした・・・・すでに取り替えしがつかないほど狂っている のかも・・・・。そして、そのパンドラの箱を開け中を見せると、先ず驚く前にその 中で飼われている犬に同情し、私が足でどかす代わりに、彼は手で優しく撫でてあげ ました。犬は、あまりに稀な対応を人間から受けたからか、非常に驚き吠えだし、いつ もの様に、私の足を目掛けて飛んできました。私もいつもの癖で、思わず足の裏を正面 に出すと、その犬はイキオイよく突進し、又いつもの機嫌に戻りました。この犬も、 もう手後れかもしれません。

この様に、アルマンドはいわゆる典型的なラテン系民族とはかけ離れたタイプです。 どこの国にもステレオタイプの人種ばかりは存在しないと頭では分かっているのです が、どうしても予想外のタイプの人と出会うと軽い驚きは隠せません。日本人のブラ ジル人のイメージはと言えば、先ずなんといってもサッカーが浮かびあがるでしょ う。そして、国民全てがサッカーに熱中している事も周知です。その為、オリンピッ クでのブラジルバレーボールチームの活躍を見てアレっと思った人も多いと 思います。そうです、当たり前ですが、国民全てがサッカーだけをしているわ けではないのです。情報過多というのは恐ろしいもので、冷静に考えれば当たり前の 事がどうしても現実に例を見出せないと、心から信じられなくしてしまいます。ラテ ンの国だからとは言え、全ての国民が皆お祭り騒ぎを好んだら、その国はどうにもな らなくなっているはずですが、どうしてもピンとこないものがあります。アディーブか らアラブについていろいろ学んだのと同様にラテンアメリカについてアルマンドから またかなり学びました。

サウジアラビア同様、ブラジルと言っても、日本ではあまり情報が入らないでしょう から、ここにその一部を紹介したいと思います。まず、ご存知の人もいるかも知れませんが、ラテンア メリカでポルトガル語を話すのはブラジルだけであり、その他の国はスペイン語を話 します。標準語と大阪弁の違いぐらいかと思えばとんでもなく、完全な外国語だそうです。

また、ヨーロッパ人から見て、アジアの区別がつかないのと同様、日本人からしてみ れば、ラテンアメリカの国々は全く同じに見えてしまいますが、アルマンドによれ ば、コレマタ当然の事ですが、それぞれの国にそれぞれの個性があるそうです。ま ず、アルゼンチン。この国はラテンアメリカの国の中では最もスノビッシュなイメージを持 ちブラジル人からしてみれば、気取ったヤツラという嫌な印象があるそうです。そう いえば、サッカー選手を思い浮かべても、バティステュータなど長髪で派手な印象が ある選手は皆アルゼンチン人であり、ロマーリオなどブラジル人と言えば、どことな く根性で上り詰めたというイメージの選手が多いような気もします。もちろん、この イメージもステレオタイプですから、アルゼンチンにもいろいろなタイプの人がいる 事は申すに及びません。しかし、このステレオタイプですら、日本では知られていな い事も事実です。また、アルゼンチンの人々は非常に彼らの首都ブエノスアイレスを 誇りに思っており、ローマやパリと並ぶ歴史のある世界を代表する都市だと信じてい るそうです。それをブラジル人は、ヒドク嫌うそうですが・・・・・。これで分かる 通り、ブラジルとアルゼンチンは、あまり仲の良い国同士ではありません。経済的にはややアルゼンチン の方が栄えており、その為、ブラジルの観光地リオデジャネイロに来ては大騒ぎする金 持ちのアルゼンチン人が沢山おり、それがその状況に拍車をかけているそうです。当 然、サッカーの試合となれば、国を挙げての盛り上がりになるそうです。

また、ラテンアメリカで最も経済的に安定している国はチリだそうです。日本にもワ インがかなり入って来ていますが、それだけでなくいろいろな産業が、特にアメリカ と結びついており、ブラジルには冷たいアメリカもチリだけには何でも協力するとア ルマンドは顔をしかめて話してました。

話をブラジルに戻しますが、ブラジルはアメリカのようにいろいろな人種が入り交 じっている国であり、純粋なブラジル人はいないそうです。皆、部分的にポルトガ ル、ドイツ、フランス、アフリカ、そして日本などの血が入っています。アルマンド はそれがブラジルサッカーの強さの秘訣だと付け加えました。つまり、アフリカ人の 強靭であり柔らかい筋肉、ドイツ人のパワー、フランス人の芸術性・・・・。そして 私が日本人のブラジルサッカーの要素はと聞くと、アルマンドは言葉を失ってしまいました。

また、アディーブ同様、アルマンドはアメリカが嫌いです。それは、前回のエッセー で紹介した“アメリカだけで通用する常識”が、大きな理由らしいですが、その他に もう一つ私が思いもつかなかった理由があります。

いわゆるアメリカに住んでいる人をアメリカ人と呼びますが、このアメリカというの は大陸の名でもあります。つまり、ブラジルやアルゼンチンに住んでいる人々もアメ リカ人だと言う事です。しかし、いわゆるアメリカ人はそれを認めようとしないとい うより、話題にもせず、それを当然のように見なしているそうです。彼らラテンアメ リカ人にしてみれば、どうしても脇役扱いされているような見下されているような印 象がするそうです。

我々アジア人にはあまりピンと来ない話ですが、例えば中国だけが、自分達だけをア ジア人だと呼んでいたら、他のアジア諸国からどのような対応が来るかを想像してみ るとそれに近い事かもしれません。といっても、アメリカナイズされた日本人にはそ れでもあまりパっとしないかもしれませんが・・・。

アルマンドは、たった二ヶ月のアメリカ生活です。有給を使って会社を休ん できたそうです。ブラジルでは、社会経験が仕事に活かされるという考えが浸透して おり、アルマンドの上司もアメリカ留学を非常に喜こび、彼に休みを与えたそうです。 日本ではまず考えられない事でしょう。もしその様な事言おうものなら、二ヶ月どこ ろか永久ヴァケーションを言い渡される事でしょう。

私は今インターンシップで忙しい毎日を送っている為、なかなか自由な時間が取れな いのですが、あの“アラブの怪人 アディーブ”がアルマンドに是非会いたいと言っ ているので、来月にでも何とか三人で会える機会を設けたいと思います。おそらく又面白い 会になると思いますので、またその内容をいずれ紹介したいと思います。

 

第三十八夜 1999年1月18日

< アメリカ イコール グローバル? >

“フランス人はアメリカ人が嫌い!”とよく耳にしますが・・・・・・ホント〜です。私 のインターンシップ先のマキシミリアンには、四人フランス人がいますが、彼らの話 しを聞いているとある事に気がつきます。

ある日、開店の準備がいつも程する事がなく、早目に終わらせてリネンをたたんでい ると、アクセルがテーブルの向いに座り話掛けてきました。いつも忙しいアクセルですので、な かなか話しをするチャンスがなかったのですが、これは良い機会だと思いアメリカで のレストラン経営についていろいろ尋ねてみました。

まず、アメリカ人を雇っている上で、フランス人との感性の違いから、何か難しい事 はあるかと質問してみました。アクセルは大きくうなずき、ため息混じりに、“アメ リカ人は怠け者だ。”と答えました。もちろん、全てのアメリカ人が怠惰だと言う事で はありません。いろいろな業界での世界的なアメリカ企業の活躍を見れば分かるよう に、他の業界でのアメリカ人の勤労ぶりは目を見張るものがあります。しかし、残念 ながら、アメリカは日本と同じように、ウェイターやバーテンダーの社会的地位は非 常に低く、特にウェイターの仕事を追求しようという人はなかなかいません。社会的な 偏見が将来の一流ギャルソンを目指そうとしている人の芽を紡ぎ取っていると言えま す。その為、マキシミリアンで働くアメリカ人も例外なく、プロのミュージシャンや アーティストを目指し、生活の為にウェイターを仕方なくしているといった人がほとんどです。

しかし、アクセルの苦悩はうなずけます。とにかく面倒な仕事を避けようとしたり、 営業中しゃべったり、定時が来たからといって、忙しかろうが何だろうが帰ったり、 しかしチップを抜くのは決して忘れなかったりといった状況です。キッチンはまだよく 分かりませんが、ホールはオーナーであるアクセルが隅々を掃除したり、ヘッドウェイター であるフランソワが休憩なしで走り回ったりと言った状況です。

また、会社内での先輩後輩の関係について聞くと、アクセルは、“最初は頭を抱え た”と答えました。経験のない新入りのくせに、いちいち自分の考えをオーナーにぶつけてき たり、教えてもないのに勝手に出来ると勘違いして行動したり・・・と言った事が頻繁 にあるそうです。ではフランスではと聞くと、経験と伝統が全てあり、そこに改革や 革新的思考の入る余地はないと力強く答えました。アメリカでは、各自がそれぞれの 意見を持つ事は当たり前であり、多少的外れな事を言ったとしても、それも一つの意 見として尊重されます。もちろんそれが革新的な商品を生み出したり、仕事の効率を良 くしたりといった良い面での影響をもたらす事もあります。しかし、ある一定レベル までの仕事に、つまり革新的な意見など必要としないルーティーンな作業に、いちい ち先輩に異議を申し立てるのは返って時間に無駄であり、非効率的とも言えます。アメ リカで10年という長い月日を費やしたアクセルでさえ今でも釈然としないようです。

また、先日子供連れのお客様が来店し、席へ着くなり子供が悲鳴混じりに叫んだり、 ホールを駆けずり回ったりしていた時、それを見ていたフランソワは、遠い西の空を 眺め、その向こうにあるフランスに思いを馳せ溜め息を吐きました。まかないを食べている 時、フランソワに“アルページュは子供は入れなかったよね”と話掛けると、“呆れ た理由は子供じゃない”と答えました。では何かと言うと、その時の“親の対応”です。 アメリカでは、特に人前で、子供を叱りつけたり、仕付けの為に殴ったりといった事は絶対ありませ ん。そんな事をすれば、たちまちそれを見ていた周りの人(もちろんアメリカ人)が 警察に電話し、子供を虐待していると通報してしまうからです。その暴れていた子供の 親も、優しく子供を抱え、周りの他の客に苦笑いしただけで、特にその子を叱りつけたり といった事はしませんでした。その話を聞いていたアクセルは、“その結果がアレだ” と、キッチンの中でしゃべりながらダラダラしていたアメリカ人従業員を指差し、ま た溜め息を吐きました。 また、フランソワに小さい頃に両親に殴られた事はあるかと尋ねると、何 か間違った事をすれば必ず殴られたと答えました。

この二人のフランス人と話していて、私は、今日本人が陥っている、ある“錯覚的流 行”を思い浮かべました。上記の様に、フランスでは、仕事をする上で上司や先輩の意見は絶 対であり、又その経験から積み重ねられた伝統をまず吸収する事を第一とし、その期 間に上司にNO(Non?)を言える余地はないというのが常識であります。ちょっ と考えて見て下さい。これは一昔前の日本の職場でも絶対のルールであったはずで す。しかし、最近では“現代っ子”という言葉の普及と共に、その考えは“時代遅れ”と見な され、だんだん廃れつつあります。“若くても実力があれば出世すべきだ。”確かにそれは 的を得ていると言えるでしょう。しかし、それは一般人が何年も費やし修得しなけ ればならない伝統を、その何倍もの早いペースで修得出来てしまう天才のみに値する 事であるはずで、そう簡単にどこの職場でも起こり得ない、決してそう頻繁には現れ ない特殊な例であるはずです。長い年月をかけて培われたノウハウを入社4,5年で、それを 上回る革新的な新ルールがひらめくといった事など常識では不可能と言えるでしょう。

上記の後者の例である子供の仕付けでも、フランス人の考えは、これまた一昔前の日 本の常識と全く同じです。“幼児虐待”が大きな問題であるアメリカでは、人々が敏 感になるのは一見仕方ないと思えますが、そういう風に甘やかされて育ったが為に、常識に欠け、最悪 のケースではそういう人間が、犯罪をおかすといった矛盾的な結果をもたらしている とも言えます。かつて、アメリカでの犯罪は貧困な家庭で育った人間によるケースがほとんどでし た。しかし、最近では恵まれた中流階級以上の家庭で育った子供が、犯罪を繰り返している というのが大きな問題になっています。それも、全くその仕付けの問題と関係ないと は言えないのではと思います。

この問題で、ちょっとすっきりしない部分があったので、サウジアラビア、スウェーデ ン、中国、ブラジルからの友人に聞いてみました。驚いた事に、全てがフランス人と 又はかつての日本人の考えと一致します。

今の日本では、それらの考えを“時代後れ”と見なしています。そして、同時にアメリカ 的考えを、“これからの時代の新しい考え”とか“グローバルな考え”と決め付けています。前 述した“錯覚的流行”とはここの部分です。今日本に根付こうとしている、“新しいグ ローバル(世界的)”だと思われている考えは、実は世界的だなんてとんでもない話 で、“アメリカのみに当てはまる考え”だという事です。他の国々では、今も昔も常識は変 わっていません。“常識に古いも新しいもない”といった印象を受けます。つまり、 “変化や進歩するジャンルの物ではない”という事です。ちょっと考えてみれば当たり前 の事だと言えるでしょう。時代に沿って人々の価値観は変わるものですが、その中の 常識と呼ばれる分野まで変化するなど本来有り得ない事のはずです。

結局、日本はアメリカの影響を“不必要に”受けていると言えるかも知れません。そし て、問題は、その“アメリカだけで通用する考え”を誤って“世界的な考え”と信じてしまうという事で す。日本には、“世界的(グローバル)な考え”はもともとありました。そのままで“世 界に通用する共通の考え”を自然に身に付けていました。しかし、ここ数十年で、その不変 であるはずの“グローバルな考え”を“時代遅れ”又は“日本特有のヘンな常識”と勝手 に決め付け、代わりに“アメリカだけの考え”を“グローバル”と勘違いし取り入れてしまっ たが為に、又は世界に近づく為に“新しいと思われた考え”を積極的に取り入れたが為 に、逆にアメリカと一緒に世界から孤立してしまいそうになっていると言えるかもしれません。

フランス人だけでなく、アメリカを嫌う人種は、口を揃えてその“アメリカだけの考え”を否 定します。では、そういう人達は日本をどう見てるかと言うと、日本は伝統ある秩序 正しき国だと思い込んでいます。つまり、かつての日本の印象が強く、今でもそれが 保たれていると思い込んでいます。ある意味、日本人はその“グローバルな考え”の先進 国であったと言えるかもしれません。確かに、かつての日本ほどその考えが統制され ていた国は、過去にも現在にも例を見ないと言えるでしょう。惜しい事をしました。そ の伝統を継続していれば、世界各国が日本を目標に、世界秩序を更に活性化させたかも しれません。もし、アメリカが逆に日本に追随していれば、今頃犯罪も減っていたかも しれません。また、今日本で問題になっている(アメリカ的な)犯罪も起こっていなかったかもしれません。

我々日本人は、これからもう少し物の見方を、本来の意味で、グローバルに見つめ直さなければ いけないのかもしれません。“アメリカ イコール グローバル”と言う錯覚を払拭し、世界 レベルにまた戻す必要があるのではと考えます。しかし、ここでの“グローバルに”又は“世 界を見つめる”というのは、いろいろな国の事を片っ端から調べるという事ではあり ません。要はシンプルで、本来の日本を見つめ直すと言う事です。

また、余談ですが、他の国の事を隅々まで知っている人が“国際的(グローバル)”と賞賛されがちですが、私は“自国の 事をどれだけ深く海外の人達に表現出来るか”という事が、本来の国際的(グローバル)な人間 かどうかという区別のラインを引いているような気がします。何も知識だけではありません。日本 人らしい立ち振る舞い、表情、態度、そして考え方など、知識をダイレストにぶつけるのではなく、間接的に外国 人に何かを感じさせられる事ができる人が本来の国際人と言えるのではないでしょうか。

マキシミリアンのアクセルとフランソワは一目でフランス人と分かります。言葉を発 しなくても彼らのフランス人としての各自の歴史が、オウラの様に内面からにじみ出て いるのでしょう。私はこの多人種が集まるアメリカでどう見られているか不安です。

相撲をマッタク見ずに、代わりにスタンハンセンのラリアートがジャイアント馬場の 喉元にヒットしたのを見て大喜びしていた少年時代。アパートを捜す上での条件で、 畳ではなくフローリングを必須項目に挙げていた大学時代。日本酒の漢字がどうしても 覚えられなくても、Ch.Pichon Longueville Comtesse de Lalande などの洋酒をすぐに覚えてしまったバーテンダー時代。・・・ ・もう手後れかも・・・・?

 

第三十七夜 1999年1月12日

< インターンシップ スタート! (続編) >

1999年1月4日。いつもの様に軽目の服装に大きな鞄を首からかけ、いつものバス停 に向かいました。時間はいつもよりかなり遅い時間でしたが、近所のオバサンと偶然 そこで居合わせ軽く挨拶すると、“そのコンクリートみたいな髪型どうしたの?”と 尋ねられました。“これからインターンシップでレストランで働く”、と答えようとした 瞬間、胃袋の底の方から緊張が走り、“インターンシップ”という簡単な英語の発音が出来 ず、呼吸を整え又言い直しました。

ダウンタウンのフレンチレストラン“マキシミリアン”まで、バスで約30分程かか ります。しかし、その時の私には15分だった様な、又1時間かかった様な不思議な時の流れ でした。バスを降りて、近くのスターバックスでコーヒーを買い、店内では煙草は吸 えないので、外に出て雨風に髪が乱れない様に注意しながら一服し、また店内に戻りト イレに入り、リステリンでうがいし、そしてまた呼吸を整えてマキシミリアンに向かいました。

時間はちょうど休憩時間か仕込みをしている時間のはず。アメリカ式の自己紹介を忘 れない様に反復練習しながら歩き、入り口のドアの前まで来ました。ガラス窓から、中 で肌と髪の色が違う人種が数名椅子に座り、ミーティングらしき事をしていました。ま た呼吸を整え、期待からか不安からか分かりませんが、まるで耳元に移動したような 心臓の鼓動に急かされながらドアを開けました。

その中の一人が私に気がつき、お客様と間違えて、まだ営業時間ではないと言ってき ました。私は、当然インターンシップの事を知っているだろうと思い、その趣旨を伝 えると、彼は首を傾げ、無愛想に、とにかく分からないから座ってアクセル(オーナー) を待つようにと言いました。前日の夜、寝る前に描いていた数百のパターンのどれとも当てはま らない対応に多少まごついてしまいました。予想外の事も当然起こるであろうと、 しっかり“その他”の欄も用意していたのですが、まさか最初の最初から、その“その他”に当て はまる事が起きるとは想像していなかったので多少の驚きは隠せませんでした。

しばらくしてもアクセルは現れず、座って待っていると、皆休憩時間が終了したの か、各自また仕事を再開しました。誰も私に見向きもしません。仕方なくキョロキョ ロしながら座っていました。しかし、私が座っていた場所はホールの中です。そこに 座っていては、準備の邪魔になる事は明白です。しかし、まだ何も支持は受け ていないし、着替えてもいません。どうしたものかと戸惑いましたが、だんだん“私 はナメラレテいるのだろうか”、“日本人だからと軽視されているのだろうか”、と腹 が立ってきて、と同時にある言葉が私の脳裏を横切りました。“旅の恥は掻き捨て!”

図々しいと思われようが、生意気と言われようが、どうせ3ヶ月後にはバ〜イです。 それに、悪い噂がたったどころで、太平洋を渡って日本に届く訳ないと言い聞かせ、 いや、その時の私の人種差別的思考からの怒りが私を開き直らせたのでしょう。

私を出迎えた若いアメリカ人が、明らかに効率の悪いやり方で、一人でホールを掃除 していました。彼はもちろん“したっぱ”です。一言ことわって掃除に参加するのが礼儀 かもしれませんが、私の第一印象をブチ壊したあの無礼な対応の記憶が、私の口を閉口させまし た。“日本人をナメルなよ〜。”真珠湾攻撃です。“このアメやろう〜。”いきなり ナイフとフォークを山のようにトレーにのせて、以前ディナーをそこで食べた時のセッティングのスタイルを思い 出し、気が狂ったように勢いよく作業し始めました。

彼は訝しげに見ていましたが、知った事ではありません。セッティングが終わり、彼 に次は何をやればいいか尋ねると、“まだ4日目だから分からない”と答えました。 コックはキッチンで仕込みをしていましたが、ホールの連中は全くいません。そして、そ のアメリカ人は自分は早番だからもう帰ると言い出し消えてしまいました。彼はアル バイトだそうです。

また暗中模索にはまってしまい、立ち往生していましたが、自 分が働いていた時の事を思い出し、この時間に研修生がいたら何をして欲しいかと言 う事を考えました。ひらめいたのが“トイレ掃除”です。トイレの場所は知っていま したが、さすがに洗剤の場所は分からなかったので、恐る恐るキッチンに入り、一番優しそ うな人を見つけて場所を尋ねました。彼は、“お前は誰だ?”と聞きましたが、どうせ 説明しても無駄だろうと思ったので、今日から働くとだけ伝えました。彼は首を傾げてい ましたが、それ以上何も言わず、洗剤だけ私に渡し、また玉ねぎを切り始めました。 ピカピカにしてやろうと勢いよくトイレに向かうと、そこから背の高い見覚えのあるヤ ツが現れました。以前ディナーを食べに来た時、サーブしてくれたフランス人で三つ 星レストラン アルページュ出身のフランソワです。彼は驚いた顔をし、何をしているのだと尋ねまし た。私は助け船が現れたと思い事情を説明すると、彼はとにかくアクセルが来ないと 分からないから待つようにと言いました。トイレは掃除済みでした。しかし、もう完 全にエキサイトしていたので、とりあえず洗い終わったナイフやグラスが積んであったので、それを整理した り、バスステーションを拭いたりしながら、アクセルを待ちました。

やっとアクセルが現れ、笑顔で近づき握手を交し、やっと平和がやってくると思い ホッとし、更衣室で着替え、営業始まりを待ちました。と同時に皆に改めて紹介してくれる であろうと期待し待っていると、その様な気配は全くなく、そうこうしている内に最 初のお客様が現れました。フランソワがお客様を席へ案内し、アクセルはシェフと料 理の相談をしていましたので、私は隅でまた立ち往生するのが精一杯で、足が宙に浮 く感覚を久しぶりに体験しました。

そうこうしている内に、お客様がどんどん入って来て瞬く間に満席となりました。も うインターンシップ研修生などに気を使っている暇などありません。ただでさえスタッ フが足りないのですから。正直に申し上げて、私はかなり焦ってしまい、“どうしていい か分からない”と心の中で思いました。その時、フランソワが、私の目の前を忙しそう に小走りで通り過ぎようとした時、口を少し開け、何か言いたそうにしながら私をチラっ と見て、その暇がない為そのままキッチンへと向かいました。私はその時ふと思い浮 かびました。“ホントに俺はどうしていいか、何をしていいか分からないのだろうか?”

私が日本で働いていた店はフランス料理店です。私自身はバーテンダーでしたが、も ちろん全く知らない訳ではありませんし、“したっぱ(バスパーソン又はコミ)”の 仕事ぐらい知っています。フランソワは何か言いたげでした。バスパーソンの仕事は、テーブルの バッシング、セッティング、そして水やコーヒーをお客様に注ぎ足すのがメインの仕 事であるはず。席は満席です。ホールには、アメリカ人のアルバイトが二人いました が、充分にサービスが行き届いているとは言えない状態でした。とにかく、テーブル を見渡し、ピッチャーを持ち、水を片っ端から注ぎ、コーヒーのお代わりを伺いつつ 注ぎ、お客様が帰った瞬間テーブルを掃除し、またセットし、砂糖やクリーム、コー ヒー、紅茶を補充したりなど、とにかくアクセルとフランソワ、この二人の中心ギャ ルソンがスムーズにサービスに集中出来るようにと努めました。もうその時には自己 紹介などどうでもよくなっていました。

何とか最後のお客様を送り出し、後片付けをしていると、コックの何人かが、まかな いを抱えてホールに現れました。“勝手にメシでも食いやがれ!俺には家に帰れば電子 レンジが待ってるぜ!”と、ヒネクレタ事を考えていると、その中の一人が、私に一 皿手渡し、“Good Job! What’s your name?”と笑顔で声をか け、初めて私の名前を聞いてくれました。そして、皆テーブルに集まり、数時間前は見向きもしなかった連 中が、同一人物とは思えない笑顔で握手を求め名前を交換しました。何だかシアトル のバーテンダーズスクールに行った時と同じようなパターンになりましたが、今回は 言葉ではなく、世界共通の体でのコミュニケーションで打ち解けられたからか、喜びも 一入でした。

そのまかないは、フランス人のシェフが珍しく作ったそうですが、“子牛の ブランケット”。彼のお婆さんの得意料理だそうです。生まれてからずっとフランス 料理を食べ続けている人種が作るフランス家庭料理ですから、それ自体もちろん美 味しいでしょうが、普通以上に私は格別に感じました。料理を更に美味しくさせる要 素はいくつかあります。相性の良いワイン、良い雰囲気、気の利いた会話 etc。 しかし、この時の私にとっての最も大きな要因は、何と言っても自分を取り囲んだ 暖かな“仲間の笑顔”であった事は申すに及びません。

 

第三十六夜 1999年1月7日

< インターンシップ スタート! >

いよいよインターンシップが始まりました。マキシミリアンというシアトルではなか なか伝統のあるフレンチレストランです。シアトルに来てからインターンシップを意 識し有名レストランは大体回ったと思いますが、結局そこのレストランが自分にとっ てベストであろうと考え決めました。では、その決め手となった理由は何かというと、まず一 つが、去年オーナーが変わり、それまでのフランス人のメートルドテルとこれまたフ ランス人のシェフが共同経営で後を引き継いだという珍しいシチュエーションであった事 がまず挙げられます。今盛んにいろいろとサービスや料理だけでなく経営面でもチャ レンジしている状態なので、その中に入ってその変貌を目の当たりに出来るのはイン ターンシップの特権であろうと考えました。

しかし、実際にいろいろなレストランを回ってみての私の感想ですが、正直に申し上 げて、シアトルにはマキシミリアン以上にレストランとしてレベルが高いレストラン は沢山あります。遅くても11月までに決定しなければならなかったので、その頃自分 にとって最も利益になるであろういろいろな要素を考えかなり悩みました。そして、 結局考えがまとまらず、候補に挙げていた3つのレストランに今度はランチではなくディナーを 食べに行き、そうすれば答えが出るのではと思い三日連続で回る事にしました。

まず、訪れたのがローバーズ。ここはシアトルNO1シェフの店で、革新的だがしっ かりとしたソースを売り物にしているレストラン通のなかで最も評価が高いレスト ランです。では、私が学びたいサービスはというと、充分に人数が揃った実力者で 構成されており全く隙がありません。また、アメリカ人特有のフレンドリーさも心地 よく、やはりここは素晴らしいと再確認し、自分がインターンシップをしている姿を 想像しながら夢見ごこちで食事を楽しみました。ま〜その直後に爆発的なお勘定ですぐ 目が覚めましたが・・・・・。

二つ目がカンパーニャ。ここはローバーズと同じように有名シェフの店ですが、近く に同名のカフェを開いたりなど、会社としてはローバーズを上回る評価を受けている レストランです。以前ランチを訪れた時の記憶では、シアトルのオバサマ方による大宴 会が思い出されるばかりだったので(こればっかりは国境を越えています。)、ディ ナーの様子が非常に楽しみでした。料理は完全なヌーベルキュイジーヌ。健康に“不必要に” 敏感なアメリカ人受けしそうな料理です。ではサービスはというと、決して悪くはないの ですが、ローバーズを体験した直後でしたので非常にスケールが小さく感じ、ますます ローバーズへと気持ちは傾いていきました。

そして、最後に訪れたのがマキシミリアン。もともとこのレストランに惹かれていた 理由は上記の経営的な要素だけであり、料理もサービスも決して悪くはないのです が、これと言って特筆すべきものはなく、その二日目を終えた時点でほとんど興味はなく なっていました。しかし、既に予約も入れていたので仕方なく行く事にしましが、そ こで思いもよらぬ光景を目の当たりにしました。

以前ランチを訪れた時は、エスコフィエの教科書の再現かなと思えるような料理がほ とんどで、サービスも、海に面した窓から差し込める太陽の光に照らされた明るい日差 しのなかで、それに負けない輝くものがあったかと言えば思い当たらず、可もなく不可もなくと 言った印象でした。しかし、日が沈んでから店を訪れ、昼とは全く違った雰囲気にまず驚 き、席へ案内され周りを見渡すと、佳麗にフロアを舞う以前見られなかったギャルソン二人がすぐ目に 入りました。

その一人が私のテーブルに笑顔で近づき、フランチアクセントを効かせた英語で食前 酒のオーダーを取りに来ました。彼は20代後半のフランス人です。私は去年フランスへ旅行 したおり、その時のレストラン周りの話しを軽くすると、なんと彼は、かのアラン パッサール率いる三つ星レストラン“アルページュ”で以前働いていたと答えました。パリで アメリカ人の女性と知り合いそのまま結婚した為シアトルに移り、今このレストランで働いて いるそうです。ややアメリカナイズされてはいますが、物腰の柔らかさはさすがです。

そして、次にもう一人の40代の黒いジャケットを羽織ったメートルらしき人が料理 とワインのオーダーを取りに私のテーブルに来ました。彼もフランス人でアクセント は上記の彼より強くまさにフランス人といった雰囲気です。しかし残念ながら、その 彼の仕事の様子をここに表現する事はできません。実際こう書く前に、何度もなんとか描写しよう と挑戦したのですが、書けば書くほど事実とはかけ離れていくというジレンマを感じて いまい諦めました。その程度と思われてしまっては残念ですので省略させて頂きます。

しかし、単にメニューのオーダーを取っただけです。しかしその時の私が受けた衝撃 といったら完全に私の描写能力を超えています。ただ私の感想だけを言えば、片手を隣の 空いている椅子に軽くついてメニューの説明をしている彼のしぐさ、雰囲気、リズム、声のトー ンは今までどのレストランでも体験したことがなく、まるで吸い込まれてしまうような印象を受け ました。そして、ワインのオーダーを終え、余分なグラスを彼が下げようとした時、私 はそのなめらかなゆったりとした雰囲気からハッと目が覚めるような軽い驚きを覚えま した。実際、何の事はありません。ただ彼が腕を伸ばしてセットしてあったグラスを 外して手に持っただけです。しかし、その流れるような滑らかだが素早く力強い動作に私は 絶句してしまいました。

マキシミリアンは、シアトルのレストラン通からそれほど高い評価は受けていませ ん。確かにローバーズと比べればギャルソンの人数も足りないし、料理のレベルもや や低いと言えるでしょう。しかし、3ヶ月間のインターンシップで自分に何かを身に 付ける事を最大の目的としている私にどれだけ(シアトルで有名な)ローバーズで働 く意味があるといえるでしょう?マキシミリアンはサービスの人数が少ない分自分に もチャンスが回ってきます。ではローバーズではと言えば、お客様と接する事すら難 しいでしょう。それに一流店だからと言って、たかだか三ヶ月のインターンシップでど れだけ身につけられるかは疑問です。

そして、最大のマキシミリアンでインターンシップをする事の意義は、その二人の一 流のギャルソンに直に接する事が出来るという利点です。この二人は間違いなくロー バーズどころかアランデュカスでも充分働ける実力者である事は間違いありません。 お店の雰囲気から(またアメリカを意識してか?)、ややくだけた接客にはなってい ますが、随所に見せる本物の片鱗は一見の価値があります。

結局私は前述した通りマキシミリアンで働く事になり、今日で四日経ちました。期待 を大きく抱き初日のドアを開けた緊張感は一生忘れられないでしょう。しかし、その後 の数時間は、私の今までの人生で体験した事がない異様な孤独感との闘いでした。 ・・・・・次週につづく!

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