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第三十八夜 1999年1月18日
< アメリカ イコール グローバル? >
“フランス人はアメリカ人が嫌い!”とよく耳にしますが・・・・・・ホント〜です。私
のインターンシップ先のマキシミリアンには、四人フランス人がいますが、彼らの話
しを聞いているとある事に気がつきます。
ある日、開店の準備がいつも程する事がなく、早目に終わらせてリネンをたたんでい
ると、アクセルがテーブルの向いに座り話掛けてきました。いつも忙しいアクセルですので、な
かなか話しをするチャンスがなかったのですが、これは良い機会だと思いアメリカで
のレストラン経営についていろいろ尋ねてみました。
まず、アメリカ人を雇っている上で、フランス人との感性の違いから、何か難しい事
はあるかと質問してみました。アクセルは大きくうなずき、ため息混じりに、“アメ
リカ人は怠け者だ。”と答えました。もちろん、全てのアメリカ人が怠惰だと言う事で
はありません。いろいろな業界での世界的なアメリカ企業の活躍を見れば分かるよう
に、他の業界でのアメリカ人の勤労ぶりは目を見張るものがあります。しかし、残念
ながら、アメリカは日本と同じように、ウェイターやバーテンダーの社会的地位は非
常に低く、特にウェイターの仕事を追求しようという人はなかなかいません。社会的な
偏見が将来の一流ギャルソンを目指そうとしている人の芽を紡ぎ取っていると言えま
す。その為、マキシミリアンで働くアメリカ人も例外なく、プロのミュージシャンや
アーティストを目指し、生活の為にウェイターを仕方なくしているといった人がほとんどです。
しかし、アクセルの苦悩はうなずけます。とにかく面倒な仕事を避けようとしたり、
営業中しゃべったり、定時が来たからといって、忙しかろうが何だろうが帰ったり、
しかしチップを抜くのは決して忘れなかったりといった状況です。キッチンはまだよく
分かりませんが、ホールはオーナーであるアクセルが隅々を掃除したり、ヘッドウェイター
であるフランソワが休憩なしで走り回ったりと言った状況です。
また、会社内での先輩後輩の関係について聞くと、アクセルは、“最初は頭を抱え
た”と答えました。経験のない新入りのくせに、いちいち自分の考えをオーナーにぶつけてき
たり、教えてもないのに勝手に出来ると勘違いして行動したり・・・と言った事が頻繁
にあるそうです。ではフランスではと聞くと、経験と伝統が全てあり、そこに改革や
革新的思考の入る余地はないと力強く答えました。アメリカでは、各自がそれぞれの
意見を持つ事は当たり前であり、多少的外れな事を言ったとしても、それも一つの意
見として尊重されます。もちろんそれが革新的な商品を生み出したり、仕事の効率を良
くしたりといった良い面での影響をもたらす事もあります。しかし、ある一定レベル
までの仕事に、つまり革新的な意見など必要としないルーティーンな作業に、いちい
ち先輩に異議を申し立てるのは返って時間に無駄であり、非効率的とも言えます。アメ
リカで10年という長い月日を費やしたアクセルでさえ今でも釈然としないようです。
また、先日子供連れのお客様が来店し、席へ着くなり子供が悲鳴混じりに叫んだり、
ホールを駆けずり回ったりしていた時、それを見ていたフランソワは、遠い西の空を
眺め、その向こうにあるフランスに思いを馳せ溜め息を吐きました。まかないを食べている
時、フランソワに“アルページュは子供は入れなかったよね”と話掛けると、“呆れ
た理由は子供じゃない”と答えました。では何かと言うと、その時の“親の対応”です。
アメリカでは、特に人前で、子供を叱りつけたり、仕付けの為に殴ったりといった事は絶対ありませ
ん。そんな事をすれば、たちまちそれを見ていた周りの人(もちろんアメリカ人)が
警察に電話し、子供を虐待していると通報してしまうからです。その暴れていた子供の
親も、優しく子供を抱え、周りの他の客に苦笑いしただけで、特にその子を叱りつけたり
といった事はしませんでした。その話を聞いていたアクセルは、“その結果がアレだ”
と、キッチンの中でしゃべりながらダラダラしていたアメリカ人従業員を指差し、ま
た溜め息を吐きました。
また、フランソワに小さい頃に両親に殴られた事はあるかと尋ねると、何
か間違った事をすれば必ず殴られたと答えました。
この二人のフランス人と話していて、私は、今日本人が陥っている、ある“錯覚的流
行”を思い浮かべました。上記の様に、フランスでは、仕事をする上で上司や先輩の意見は絶
対であり、又その経験から積み重ねられた伝統をまず吸収する事を第一とし、その期
間に上司にNO(Non?)を言える余地はないというのが常識であります。ちょっ
と考えて見て下さい。これは一昔前の日本の職場でも絶対のルールであったはずで
す。しかし、最近では“現代っ子”という言葉の普及と共に、その考えは“時代遅れ”と見な
され、だんだん廃れつつあります。“若くても実力があれば出世すべきだ。”確かにそれは
的を得ていると言えるでしょう。しかし、それは一般人が何年も費やし修得しなけ
ればならない伝統を、その何倍もの早いペースで修得出来てしまう天才のみに値する
事であるはずで、そう簡単にどこの職場でも起こり得ない、決してそう頻繁には現れ
ない特殊な例であるはずです。長い年月をかけて培われたノウハウを入社4,5年で、それを
上回る革新的な新ルールがひらめくといった事など常識では不可能と言えるでしょう。
上記の後者の例である子供の仕付けでも、フランス人の考えは、これまた一昔前の日
本の常識と全く同じです。“幼児虐待”が大きな問題であるアメリカでは、人々が敏
感になるのは一見仕方ないと思えますが、そういう風に甘やかされて育ったが為に、常識に欠け、最悪
のケースではそういう人間が、犯罪をおかすといった矛盾的な結果をもたらしている
とも言えます。かつて、アメリカでの犯罪は貧困な家庭で育った人間によるケースがほとんどでし
た。しかし、最近では恵まれた中流階級以上の家庭で育った子供が、犯罪を繰り返している
というのが大きな問題になっています。それも、全くその仕付けの問題と関係ないと
は言えないのではと思います。
この問題で、ちょっとすっきりしない部分があったので、サウジアラビア、スウェーデ
ン、中国、ブラジルからの友人に聞いてみました。驚いた事に、全てがフランス人と
又はかつての日本人の考えと一致します。
今の日本では、それらの考えを“時代後れ”と見なしています。そして、同時にアメリカ
的考えを、“これからの時代の新しい考え”とか“グローバルな考え”と決め付けています。前
述した“錯覚的流行”とはここの部分です。今日本に根付こうとしている、“新しいグ
ローバル(世界的)”だと思われている考えは、実は世界的だなんてとんでもない話
で、“アメリカのみに当てはまる考え”だという事です。他の国々では、今も昔も常識は変
わっていません。“常識に古いも新しいもない”といった印象を受けます。つまり、
“変化や進歩するジャンルの物ではない”という事です。ちょっと考えてみれば当たり前
の事だと言えるでしょう。時代に沿って人々の価値観は変わるものですが、その中の
常識と呼ばれる分野まで変化するなど本来有り得ない事のはずです。
結局、日本はアメリカの影響を“不必要に”受けていると言えるかも知れません。そし
て、問題は、その“アメリカだけで通用する考え”を誤って“世界的な考え”と信じてしまうという事で
す。日本には、“世界的(グローバル)な考え”はもともとありました。そのままで“世
界に通用する共通の考え”を自然に身に付けていました。しかし、ここ数十年で、その不変
であるはずの“グローバルな考え”を“時代遅れ”又は“日本特有のヘンな常識”と勝手
に決め付け、代わりに“アメリカだけの考え”を“グローバル”と勘違いし取り入れてしまっ
たが為に、又は世界に近づく為に“新しいと思われた考え”を積極的に取り入れたが為
に、逆にアメリカと一緒に世界から孤立してしまいそうになっていると言えるかもしれません。
フランス人だけでなく、アメリカを嫌う人種は、口を揃えてその“アメリカだけの考え”を否
定します。では、そういう人達は日本をどう見てるかと言うと、日本は伝統ある秩序
正しき国だと思い込んでいます。つまり、かつての日本の印象が強く、今でもそれが
保たれていると思い込んでいます。ある意味、日本人はその“グローバルな考え”の先進
国であったと言えるかもしれません。確かに、かつての日本ほどその考えが統制され
ていた国は、過去にも現在にも例を見ないと言えるでしょう。惜しい事をしました。そ
の伝統を継続していれば、世界各国が日本を目標に、世界秩序を更に活性化させたかも
しれません。もし、アメリカが逆に日本に追随していれば、今頃犯罪も減っていたかも
しれません。また、今日本で問題になっている(アメリカ的な)犯罪も起こっていなかったかもしれません。
我々日本人は、これからもう少し物の見方を、本来の意味で、グローバルに見つめ直さなければ
いけないのかもしれません。“アメリカ イコール グローバル”と言う錯覚を払拭し、世界
レベルにまた戻す必要があるのではと考えます。しかし、ここでの“グローバルに”又は“世
界を見つめる”というのは、いろいろな国の事を片っ端から調べるという事ではあり
ません。要はシンプルで、本来の日本を見つめ直すと言う事です。
また、余談ですが、他の国の事を隅々まで知っている人が“国際的(グローバル)”と賞賛されがちですが、私は“自国の
事をどれだけ深く海外の人達に表現出来るか”という事が、本来の国際的(グローバル)な人間
かどうかという区別のラインを引いているような気がします。何も知識だけではありません。日本
人らしい立ち振る舞い、表情、態度、そして考え方など、知識をダイレストにぶつけるのではなく、間接的に外国
人に何かを感じさせられる事ができる人が本来の国際人と言えるのではないでしょうか。
マキシミリアンのアクセルとフランソワは一目でフランス人と分かります。言葉を発
しなくても彼らのフランス人としての各自の歴史が、オウラの様に内面からにじみ出て
いるのでしょう。私はこの多人種が集まるアメリカでどう見られているか不安です。
相撲をマッタク見ずに、代わりにスタンハンセンのラリアートがジャイアント馬場の
喉元にヒットしたのを見て大喜びしていた少年時代。アパートを捜す上での条件で、
畳ではなくフローリングを必須項目に挙げていた大学時代。日本酒の漢字がどうしても
覚えられなくても、Ch.Pichon Longueville Comtesse
de Lalande などの洋酒をすぐに覚えてしまったバーテンダー時代。・・・
・もう手後れかも・・・・?
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