第三十夜 1998年11月24日

< 宙ぶらりんな男 >

ここ何年かアメリカでは反移民感情が激しく、外国人が労働ビザを取得する のはかなり難しくなってきています。特に不景気とは言え、職をそれ程選ばなければ まだいくらでも就職の枠がある日本人には、特別な技術があり、しかもそれが日本人 にしか絶対出来ないと認められなければ、ほとんど不可能だそうです。しかし、寿司 職人ですら、今はかなり難しいと言われてますので、よほど強いコネか日本から派遣 されてくる以外は実質不可能と言えるでしょう。それでもアメリカで何とか働きたいと 願って学生ビザを片手に入国し職探しを試みる日本人は、後を絶たないようです。し かし、やはり現実は厳しく、ほとんどの人は職を得る事は出来ずに、ビザが切れると同 時に帰国するそうです。

では、どういう日本人がアメリカで職を得られるかと言うと、まずアメリカでの学歴 を持っている事がほとんどの業界で求めらます。意外かもしれませんが、アメリカは 日本以上に学歴社会であり、ある業界に入ろうと思ったら、それに関わりのある事を 大学でしっかり勉強し、それを証明する学位を持って就職試験に臨まなければ、アメリ カ人でさえなかなか望んでいる会社には入れません。しかも、ほとんどのアメリカ人 の大学生は、最終年に入る前にインターンシップを始め、自分の興味がある業界もし くは会社で経験を積み、それから就職試験を受けるのが典型的なパターンです。アメ リカでは経験がないとなかなか就職が難しいため、知識はあれど経験がない大学生 は、焦ってこの様に経験を積もうとするわけです。日本のように経験のない新卒のほうが 就職し易い状況とは全く反対と言えるでしょう。

ちょっとここで“学歴社会”という言葉に、もう少し深く触れる必要があると思いま す。日本で学歴社会が批判されるのは、“大学卒だからと言って優秀ではない、”という前 提がなりたつからです。しかしアメリカでは大学生は、私もかなり驚きましたが、かなり 優秀です。そしてかなり在学中に勉強しています。よくアメリカでも日本でも大学 キャンパスを思い浮かべると、ジーンズにTシャツで芝生に寝そべっている姿が出て きますが、唯一違う点は、アメリカの学生は、あの大学の分厚い教科書を、芝生で寝 そべっている時でさえ、夢中になって読んでいるという事です。少年ジャンプやマガジ ンではありません。私も大学時代に、その様な辞書と紙一重の教科書を買わされました が、てっきりアレは、テスト範囲のところをコピー(ちなみに縮小です、約5分の1 がオススメです、それ以下だとなかなか読むのに苦労します。)するのが唯一の活用法だと思っていたのです が、驚いた事に、アレは読めるものだったのです。ちょっと長くなりましたが、つまりアメ リカの大卒は高卒よりも、確実に肩書きも中身も違う訳です。やる気があって明るく礼 儀正しいのは当然の条件であって、その上でより優秀な人材がほしい企業としては大卒 をとるのは当然の選択なわけです。日本の多くの(当然全てではありません、あらか じめ・・)大卒のように肩書きだけではありませんので、学歴社会を批判する人もア メリカにはいないようです。言ってみれば当然の現象でしょう。

それ程シビアな就職戦線で、例え何年も英語を勉強しペラペラになったと思えても、 やはり細かい部分でやや言葉のハンデキャップがある日本人が、その優秀なアメリカ人を差し 置いて就職するとなれば、当然アメリカの大学を同じ条件で出て自分の能力を証明す る必要があるわけです。つまり、誰でも英語が話せるアメリカでは英語が出来る事は 何の強みにもならず、それプラス何かがなければいけない訳です。因みに、アメリカ に来てから英会話に慣れようなどと言っている時点で手後れであり、日本で覚えられ る事は全てやりつくし、もうアメリカに行かなければ覚える事がないという状態の人 以外は通用しないと言えるでしょう。目安としてアメリカ入国前に英検1級、TOE IC800点以上だそうです。

上記の条件を全てクリアーし、アメリカで活躍されておられる方に以前紹介したワイ ンバーで偶然お会いし話しをさせて頂きましたが、その方いわく、日本が嫌になって アメリカに逃げて来るような人は期待しているような物は何も見つけられないそうで す。つまり、日本で通用せず、それを“合わないから”と都合よく言い訳をつけ、 御両親に経費を出してもらい、テキト〜に語学留学しながら、アメリカはチャレンジの 国だからと、いきなり無鉄砲に会社に押しかけ、文法が間違いだらけの履歴書を出しても、 100パーセント無理だそうです。こんな馬鹿はいないだろうと思うかもしれませんが、 実際多いそうです。また、その様な能力のない連中にとって、日本の会社ほど有り難い環境は ないそうです。仕事が出来なくても生活出来るお金が保証されているからだそうです。

しかし、“日本からアメリカに逃げる、”これもまたおかしな話です。前述しました が、日本は不景気といえど、まだまだ他のアジア諸国に比べれば豊かな国です。確か に、私生活で何かどうしようもないトラブルがあったり、英語は話せないけど日本の会社で は絶対実現不可能なアイデアやそれを生かせる特別な能力を兼ね揃えていて、日本の 会社では潰されるだけと言う事がいろいろな人から見て確実だと思われる才能豊かな 特殊な日本人であるのなら話しは通じますが、それが今アメリカで職探しをしている 日本人の何パーセントがそれに当てはまるでしょうか?

確かに後者のタイプの人の成功談を聞いた事はあります。その方は日本人ではなく インド人でしたが、英語がほとんど話せず、またコンピュータの知識が全くなかったのにも 関わらず、あのマイクロソフトに入社する事が出来ました。採用した理由が、 最もアメリカらしい企業であるマイクロソフトらしく、“そのインド人は我々が始めたかった ビジネスに精通している、コンピュータと英語は後から教えればいいでしょ!”と言う事らしい です。このケースは納得できますが、非常に稀です。

しかし、現実に日本から、自分の実力または努力不足を会社のせいにして辞め、アメリカに 自由を求めてくる人は後を絶ちません。確かにアメリカは自由の国です。しかし、 規制が少なく自由が多いと言う事は、それだけ自分個人に対して責任が重く圧し掛かると 言う事です。他人よりも優れた能力があれば自由にそれを開花させるチャンスは日本よりも 大きいでしょう。しかし、能力がなければアメリカの方がよっぽどシビアだとも言えます。 日本の会社のようにいろいろな面で保護してくれたりしません。つまり、アメリカは自由だけ れどそれだけ厳しいため、“日本に逃げたくなるアメリカ人”はいるとしても、 その逆は・・・・どことなく矛盾に感じます。前回のエッセーでも述べましたが、他の国では 極限状態から逃れてきた人でさえ、祖国を懐かしむ人が多いと言うのに、何か日本は世界の 常識から外れた方向に傾いているような気がしてなりません。

と言いつつも、私もその日本で育った一人です。この八ヶ月の間にアメリカで働きたいと思った 事がないと言ったら嘘になります。いろいろなレストランに出向き、アメリカ人特有のお客様を 楽しませる術を目の当たりにすれば、その日の夜には必ずその中で働く自分の姿を夢見たりします。

確かに、私は日本、又は勤めていた会社が嫌になりアメリカに逃げてきた訳ではありません。 特に私を六年以上お世話してくれたRESTAURANT SCENEの上司の方々や、ア ホですが私を支えてくれた仲間達を今でも懐かしく思います。しかし同時に、私は日 本で出来る事を全て学んできたかと言えば、英語どころかバーテンダーの仕事ですら 中途半端なままです。誰かの小説のタイトルにありましたが“宙ぶらりんな男”とい う感じがしてなりません。

私はもう二十六です。今まで精一杯努力してきたとしたら、もうある程度の結果は、 何かしらの形で出てきてもいい頃ではないかと思う時もあります。しかし、それがない からといって弱気に考えても先へは進めません。確かに、同い年で既にアメリカで成 功している人や麻布でオーナーバーテンダーをしている人の話しを聞けば悔しくない 訳ではありません。又、反対に同世代で今だにブツブツと上司の悪口を言っている人 を蔑みつつ、同時にライバルが消えたとホッと安心する時もあります。しかし、 私はあくまで私であり、過去にも未来にも、当然現在にも、例を見出す事は不可能です。今の私 の現状をしっかり把握し、高くも低くも見積もらず、目の前に現れるいろいろな 選択を一つ一つ冷静に選び、それを信じる事が今の私には大切な事なのかもしれませ ん。今遅れを取っているのか、それとも順調に進んでいるのか分かりませんが、意味もなく わずかな共通点を持っている人間と比較し、落胆したり又安心したりせず、落ち着いて 頑張っていきたいと思います。

 

第二十九夜 1998年11月16日

< さよなら、アディーブ!アラブの友 >

二月程前までここで一緒に住んでいたUAEの学生が祖国へ帰り、入れ変わりにサウ ジアラビアからの学生が生活を共にする事になったのですが、何と今日、ある理由で と他の場所へと移ってしまいました。非常に残念で仕方ありません。

というのは、以前のUAEの学生はいかにもアメリカナイズされており、イスラム教 徒であるにも関わらず、ガールフレンドは作るは、お酒はがぶ飲みするはで、それは それで話していて楽しかったのですが、肝心のアラブ人特有の物は何一つ兼ねそろえ ておらず、アメリカ人の友人と変わらない事ばかり酔っ払って話していたのですが、 そのサウジアラビア人(名前はアディーブ)はバリバリのイスラム教徒であり様々な 事を学べたからです。残念ながらアディーブは英語がほとんど話せず、辞書を片手に 身振り手振りを加えての肉体言語を多様しなければならなかったのですが、かなり彼 のおかげでアラブ通になったと思います。日本ではかなり情報が少ないため、サウジ アラビアというと、白装束をまとい、ラクダに乗り、途中でお祈りをしつつ砂漠を横 切り、たまに石油を掘って生計を立てる、でもワールドカップの予選で見た事あるか らサッカーはやるのかな?、とその程度に考えている人も大勢(私だけ?)いると思 いますので以下に少し紹介したいと思います。

まず、サウジアラビア又はサウジアラビア人は日本人が考えるステレオタイプかそれ とも近代化された国になっているかというと、どちらとも言えないと思いますが、ア ディーブの話から判断すると、やや後者よりではないかと感じます。

まず、衣服は自由であり何を着ても構わないが好んで白装束を着る人も多いそうで す。しかし、女性は目以外は他人にさらけ出す事は禁じられており、結婚するまで他 人に顔すら見せる事は出来ないそうです。では結婚相手にいつ見せるかと言うと、お 見合いの時に二人きりになりその時初めて拝めるらしいです。ときどきその場で破談 もあるとアディーブは付け加えていました。また、ラクダに乗って砂漠を旅する人は いないそうです。私は質問してアディーブの表情を眺め、聞いた自分をすぐ後悔しま した。

また、サウジアラビアでは宗教上で彼女を作る事が禁じられています。そして、それ をほとんどの人は頑なに守っているそうです。また上記のように見合い結婚が主流で あり恋愛結婚は全く(?)ないそうです。それを聞き驚いた表情をアディーブに見せ ると、人差し指を天に向け、大きく横に手を振りこう付け加えました。‘フォー 、 ワイフ、 オーケー’。何と、この男女差別が騒がれている御時世で四人まで妻を持 つ事が出来るそうです。ただ、ほとんどの人が一人だけのようですが、四人奥さんを 持っていると言っても決して珍しい事でも何でもないそうです。そこでアディーブは 何人欲しいのか尋ねると、照れながら‘オンリー ワン’と答えました。さすがに男 女交際をま〜ったく経験してないだけに、二十四歳の割にはかわいいな〜などと穏や かな空気に浸っていると、いきなりニヤケ面に豹変し、‘エブリーナイト、メニー ガール、エクササイズ、トゥーマッチ(too much)’とホザキました。このナメタ態 度が、その後の私の悪どい質問を助長させた事は申すに及びません。

彼によると、サウジアラビアでは男女の位の差というものがはっきりしており、例え ば、上記の衣服の自由も男性だけのものであり、もちろん学校も別々です。そして驚 いた事に銀行も男性、女姓用とトイレのように区別されているそうです。また、その 結婚形式にしても疑問を持つ女性は全くおらず、家庭内でも絶対的に男性が支配して いるそうです。また、職業も限られており、アメリカや日本のように女性がビジネス を始めたりなどは、絶対不可能というよりそういう野心を持つ事すらないそうです。 また、当然実生活においても男性主流であり、女性が男性に口答えすることすら滅多 にないそうです。アメリカや最近の日本では考えられない事でしょう。マッタク羨ま し・・・・・・いやいや、不条理な話しであります。そういえば、シアトルでかなり 多くのサウジアラビア人の学生が来ているのにも関わらず女性は見た事がありませ ん。おそらく禁じられているか、そういう発想も浮かばないのでしょう。ただここま で厳格なのはサウジアラビアのみ(?)らしくUAEなどはやや緩やかな規制らしい です。

また、サウジアラビアの産業はというと、以前までは日本人の想像通り、石油のみに 頼っていたそうなのですが、アディーブに将来の石油危機について質問すると、また 人差し指を大きく振り答えました。近年サウジアラビアでは農業も盛んになってお り、以前まで完全に輸入に頼っていた穀物、野菜、フルーツなどは自国でほとんど全 て賄っており、更にイギリスなどに輸出するまでに成長しているそうです。そのた め、以前は自分の身に付けた技術や知識を生かしたい人などはをアメリカなどに移住 する人も多かったのですが、今日ではそれ以外にも多くの産業が成長しているため自 国に帰国し好きな分野で働く人が多いそうです。

更に、これはサウジアラビアだけでなくアラブ諸国に関する事ですが、非常に驚かさ れた事があります。先日、アディーブにパーティがあるからと誘われ、何気なくつい ていったのですが、何と100パーセントとアラブ人の集まりでした。そして、私が 驚いた事はそんな事ではなく、アディーブの友人達の国籍です。もちろん私は一目で 判別できる訳なく、彼に紹介されて分かったのですが、彼が仲良くしているグループ は、イラン、UAE,クェート、そして何と、イラクからの学生達でした。クェート とイラクです。私はヒドク驚いてしまい、失礼かどうか考える程余裕がなく(バーテ ンダー失格です)、いきなり紹介された次の瞬間にとんでもない質問をしてしまいま した。‘何で君達、友達なの?’彼らは笑って半分呆れているようでした。現在、イ ラクでは、一般市民でサダム フセインを支持している人は少ないようです。軍隊で は神の様な存在らしいのですが、特に若い世代には人気はないそうです。しかし、 ニュースなどでフセインを支持している民衆の姿を見た事があると言うと、イラク内 では‘それ以外’の反応は出来ないそうです。もし、しようものなら・・・・・・大 変な事が起こるそうです。クリントンとモニカルインスキーをモジッタ、いかれたコ ントを未だ飽きずに繰り返しているアメリカとはエライ違いです。ちなみに、シリア やレバノンでは、女性はサウジアラビア程厳格に規制されておらず、それでも数名で すが、アメリカで暮らしている人を見ました。また、そのパーティを主催した人もレ バノン出身の女性歌手でした。

また、このパーティに象徴される通り、彼らは同じ人種で行動するのを好みます。 我々日本人の様に、せっかくアメリカにいるのだからと、アメリカ人の友達を無理に 作り、極力日本人とは会わないようにしようなどとしません。そして、ほぼ100 パーセントに近い割合で、皆な祖国を常に懐かしみ、また心からその国に生まれた事 を誇りにしています。それが例え極限状態から逃れてきた難民でさえ、同じように祖 国をいとおしむとアディーブ達が付け加えていたのが印象的でした。我々日本人が見 習わなければならない点でしょう。とにかくアラブ人は祖国を心から尊重し誇りに 思っています。

しかし反面、いろいろな人はいるのでしょうが、概して他の文化を尊重すると言う点 においては、他の人種にやや劣るのではないか、と感じます。アメリカの文化(特に 食文化)を絶対認めようとせず、例えば、ホストファミリーの用意した食事を全く食 べようとせず、後でスパイスたっぷりの料理を自分で作って一人で食べたりなど頻繁 にあります。確かに、朝は‘3分間クッキングならぬ、タッタ3秒間クッキングの ‘ファットフリーミルク(低脂肪牛乳)’というミルクの水割りをかけたシリアル ’、昼は‘チーズバーガーにコーラ’というフランスの‘生牡蠣にシャブリ’を彷彿 とさせるアメリカが誇る不滅のコンビ、そして気になる夜は、アメリカの偉大なる文 字どおり無言の鉄人シェフ‘電子レンジ’大活躍!しかも‘箱だけバラエティーに富 んだ冷凍食品’という地獄のノルマを延々とこなしつつ、それでもホストファミリー に気遣い、‘デリーシャス’と毎晩のように‘ウソ’をつくという神に反した事を心 と胃を痛めつつ続けるのは心神深い彼らにはかなり苦しいのかもしれません。

という訳で、アメリカ食文化を認められなかったアディーブはアパートに移りUAE からの学生と一緒に住むそうです。・・・・・さよなら、アディーブ!苦しみを分か ち合ったアラブの友。

 

第二十八夜 1998年11月10日

< 恥は塗れど、泥はかけるな! >

私が住んでいるシアトルは、アメリカ人にだけでなく日本人にも大変人気がある土地 で移民だけでなく留学生もたくさんいます。ダウンタウンを歩けば50メートルも歩 かないうちに一人は日本人とすれ違います。もちろん大学内にも多くの日本人がいま すが、大学生はいいとして、問題はただの語学留学生です。シアトルには沢山の語学 学校がありますが、日本人がその学生の大半をしめ、日本人だけのクラスも多く見ら れます。

先日いつものように近所のコーヒーショップに寄り、新聞を読んでいた時、髪がブロ ンドで肌の色は黒ですが‘見返り美人’のような伝統的な日本人の鼻の低さと足の短 さを持った日本人の女の子とアメリカ人の男が私の脇に座りました。二人は最初日本 語で、それから英語で話し、どうやら時間を決めてお互いの言語を教えあっているよ うでした。しかし、彼女の英語もなかなか理解し難いものでしたが、日本語はもっと 凄まじく日本人である私にも困難なぐらい稀な単語とおよそ普通の日本語とはかけ離 れたイントネーションを巧みに使っていました。あのアメリカ人に同情します。

しかし、私がもっと驚いたのは彼女のでたらめな日本語ではなくその内容です。当 然、脳みそがトロケているような娘でしたから、たいした事は話していなかったので すが、二言目には‘日本はきらいだ。’と答えていました。そのアメリカ人はかなり 日本に興味を持っていたようで、かなり驚いてその理由をしつこく聞いていました。 問題はそこです。

彼女が何かはっきりとした理由なり体験などがあって‘日本がきらいだ。’と答えた のなら、それはそれで彼女の一つの意見として尊重しなければならないでしょう。し かし、彼女自身ま〜ったく理由を持っておらずただ口癖のように‘嫌いだ’と繰り返 していただけなのです。多分、深い意味はないのでしょうけど。

当然日本に興味を持っているアメリカ人ですから、音楽などの流行だけでなく、政治 経済、文化、歴史と言った話題にどんどん移っていきました。しかし、彼女はただ ‘日本の政治は嫌いだ、経済は嫌いだ、文化は嫌いだ、そして最悪だったのが歴史に ついてで‘日本史は・・・・・専攻してない、だから分からない、私は世界史だっ た、でもそれも授業を聞いてなかったから分からない。’と、日本の高校の 授業スタイルを理解していなければ外国人には理解できるはずがない返答をしていました。 自国の歴史を知るのに学校で習ってないから分からないといった返事で‘あ〜そうなの’と 答えるのは多分日本人だけだと思いますが・・・・・・。とにかく彼女は日本について 全く理解していないというより知らないと言った方が適切だと思います。

そのアメリカ人は日本語を流暢に話し、彼女に日本経済の問題点などを説明できる程 日本をよく理解しているようでしたので心配いりませんが、もしその娘が初めてあっ た日本人であり、しかもあまり日本の事を知らないアメリカ人だったらどうなってい たでしょう。嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ、と繰り返すのを聞き、理由は本当はないにも かかわらず、この娘は英語力不足から細かい理由が言えないだけで、日本は最悪な国 なのだなと信じてしまうでしょう。

私がその二人の会話で腹が立ったのは、彼女が日本について何も知らないと言う事で はありません。‘イマドキの若い人は・・・・’などと、平安時代から繰り返し使わ れているセリフを、しかも私自身も現代っ子の仲間として言いたくはありませんし、 若い世代の政治経済離れは何も彼ら(我々?)だけの責任ではなく、日本の一般人へ の政治の対応そのものも大きな原因であると思いますから。歴史や文化に関しても、 その流れを止めたのはやはり全ての世代の責任ですし、その彼女などはある意味その 犠牲者でもあると言えるでしょうから。

では、私が気に懸ったのは、繰り返しなされた 'I don't like Japan.' 'How come?' 'I don't know.'という意味の無い会話です。前述したように理由がはっきり分かっ ているなら、否定形を用いて卑下しようが何しようが、それはそれでその人の個人の 意見として尊重します。しかし、外国人に上記のような答え方をしたら、よく分からな いけど、ただ日本はよくない国だ、と解釈されてしまいます。分からないなら分から ないで素直にそう言えばいいだけの事であって、知ってもいないくせに、分かったよう に否定する姿勢は納得いきません。

彼女は日本の友達と話す同じフィーリングでその アメリカ人の友人と接していたのかもしれませんが、外国人と話す時、しかも何かを 否定するような意見を言う時は、必ずそれについてのある程度知識と、その否定する ための裏付けを持ち、日本人の大部分が同意するような事なら、その代表であるとい う自覚を持って、そうでないなら、それは自分の意見だと前置きを置いて話すのが必 要であると思います。一方、肯定的な意見なら構わないと思いますが・・・。‘ニホ ンケ〜ザ〜イ?、わかんな〜い。アタマ悪いから〜。でも日本大好き〜。’と答える のなら問題は起こらないと思います。‘アラアラ、この娘は脳みそトロケてるのだ な。’と思うぐらいで、アメリカにもそういう娘はたくさんいますし。それに‘好きだ’と裏 付けがなくても上記のように肯定的に答えれば、ある意味平和な国なのだなと決して 悪い印象にはならないと思います。

私自身も分からない事は絶対否定しないよう心掛けています。カウンターに座ったあ るお客様に、‘なぜいなかを離れて東京でバーテンダーをしているのか’と聞かれた 時、‘茨城では洋酒を楽しむ人はあまりいませんから’、と何気なく答えると、その方は ‘調べたの?’と一言問いかけ、それまでの笑顔から一転して険しい顔つきに変わ り、ギロっと私を睨み帰ってしまいました。確かに私の故郷ですからある程度の事は 知っています。しかし、実際に洋酒を楽しむ人の調査どころか、水戸のバー事情です ら良く分かっていませんでした。それにも関わらず私が否定的な答え方をしたがため にあのお客様の気分を害してしまったのでしょう。もしかしたら、お気に入りのバー がそこにあったのかもしれません。

今私はアメリカにいます。それはある意味日本の代表であるとも言えます。全てに熟 知し、何でも的確に答えられればそれに超した事はありませんが、残念ながら私を含 めほとんどの人はそれほど優秀な人間ではありません。しかし、せめて自国に恥じは 塗れど、泥はかけないよう気を付ける事ぐらいは誰でも出来ると思います。あげ足取 りを心の生きがいに生きてきた私ですら気を付けているのですから、あの女の子ぐら いの世代の人にもその程度の気配りを持ってもらいたいものだと、・・・・・う〜 ん、いや、まだこんなセリフは言いたくない。・・・・・・・・同じ世代として恥 ずかしいと感じました。

 

第二十七夜 1998年11月2日

< もう一つのアメリカンドリーム >

私が住んでいる街はマグノリアというシアトルの北西部に位置する高級住宅地であ り、人々は穏やかで、バスに乗っている時でも、近くを歩いている時でも気軽に声を かけてくれたりなど、いわゆる良い意味でのアメリカンドリームを達成できたアメリ カ人が多く見られる場所です。私のシアトルでの活動範囲はほとんどダウンタウンか それ以外はシアトル北部なのですが、ある日ホストファミリーと話をしていた時に、 シアトルの南部はこの辺りと全く違うと聞き、早速訪れてみました。

ダウンタウンから適当に南部へ向かうバスに乗り、あても無くただ周りを見渡しなが ら進んでいったのですが、先ずバス内の雰囲気からして北部とは全く違います。誰 も声をかける人などおらず、何か敵意を表しているかのような面持ちで、皆妙に静か に座っています。そのほとんどは黒人であり皆かなり疲れているような気だるさを背 負いながらバスに揺られていました。なかには、明らかにホームレスと分かるような 人もおり、シアトルの治安の良さに平和ボケしていた私の感覚が途端に敏感になって いくのが分かりました。周りを見渡せば、マグノリアとは打って変わってほとんど崩 壊寸前の家々が並び、同時に細々と暮らす人々の姿もみえました。

30分程バスに揺られ、脅えはしたものの何事もなく無事に小旅行を楽しんで(?) いたのですが、いきなり後部座席に座っていた黒人二人が喧嘩をはじめ、バスの中は 突如慌ただしい雰囲気に変わりました。私はあっけにとられてしまい、何とかしなくて はと思いつつも体が言う事をきかず、オロオロしながら回りを見ると、誰もその喧嘩 など気にする人はおらず、皆ガラス越しに外を眺めているだけでした。しかし、だん だん喧嘩がエキサイトしてくると、なかには大声で‘ウルセー’などとどなる人も出 てきて喧嘩に加わり、どうにもならない状態になった時、化け物のような運転手さん がバスを止め、後ろまでノッシノッシと歩み寄り、その小バトルロイヤルの中に入 り、バスの後部口から皆追い出し事を終わらせました。

私もさすがに驚いてしまい、隣に乗っていた人に‘こういう事はよくあるのですか? ’と尋ねると、その黒人の男性は首を10度ぐらい軽く傾けて、YESともNOとも 取れない返事を無表情で答えました。ますます恐怖が私を襲い、次のバス停で降りる 決心をしました。その待っている2,3分の間、今までニュースなどで聞いた、アメ リカでの日本人留学生殺人事件が私の脳裏を走馬灯のように駆け巡り、‘好奇心’と いう恵まれた環境で生活する人間のみが賞賛したがる平和ボケ的欲求のみを持ってそ の場を訪れた自分を心から怨みました。

何とか無事にバスを下りられましたが、今度はまた帰りのバスを待たなければなりま せん。回りには質素な家々が並び、無表情で庭仕事をしている黒人の老婆とボロボロ のボールを使ってバスケットを練習している子供達の姿が見えました。特に何か変 わったものがある訳ではないのですが、どこかシアトル北部とは異なり、まして日本 では経験した事が無い異様な雰囲気でした。いつテレビのブラウン管に出てもおかし くないシチュエーションがそろい、その画面の右上に見える写真にはなりたくない と、ハラハラしながらなかなか来ないバスを待っていると、道を挟んだ向かいから大 きなバッグを抱え、腕に大きく描かれたきれいな絵(?)を持つ大柄な黒人が私の方 へ歩いてきました。

すると、突然私に向かい片手を突き出し、‘シガレット’と言いだしました。私は慌 ててたじろぎながら、持っていたタバコを箱ごとあげようとすると、一本だけでいいと 答え初めて笑顔を見せました。それから二人そろってバスに乗り同じ座席に座ると、 彼は割合明るい口調で私に話しかけてくれました。そこで私も調子に乗って話してい たのですが、私が‘外国へ行った事があるか?’と尋ねた時、彼はいきなり暗い表情 に変わり、下を向き小声で、‘一度だけある。’と答えました。再び異様な雰囲気へ と変わり、またしても冷や汗が出てきました。そしてその10秒後に、彼は小さく ‘ヴェトナムへ。’とつぶやきました。いっきに沈黙へと変わり、私がたじろいでい ると、彼は両手で顔を覆い深くため息を吐き、小声で‘最悪だった。’と付け加えま した。

彼に言わせれば、小説も映画もテレビのドキュメンタリーも全て架空のもので あり、現実のヴェトナム戦争はそんなものでは語れないぐらい残酷な惨事だったそう です。それはいくら詳細な資料を手にし空想したところで、経験した人以外には不可 能なぐらい悲惨な状態だったといえるでしょう。そして、その悪夢が終わったと思 い、やっとの思いで帰国すれば、家族以外誰も暖かく向かへいれてくれる人はおらず、職 を見つける事すらままならなかったと彼は語ってくれました。そして戦場での友人と の残酷な死別という悪夢の様な消すに消せない映像を胸に刻んだまま今日まで生きて きたそうです。私が外国人で無知であるからか、彼はバスに乗っている間いろいろと 話してくれました。一仕事を終えた彼はシアトルを去り故郷のデンバーへ帰る途中で した。

彼以外にもヴェトナム帰還兵で戦後かなり苦労した人はたくさんいるそうです。特に 黒人の人達は人種差別も重なり、職を得る事を始めかなり障害があったのではと感じ ます。また、余談ですが、黒人のほとんどは、ただ白人主流社会に住んでいるという だけで、知らず知らずのうちに白人よりも何パーセントも多いストレスが自然に体に蓄 積するそうです。また、それと関係があるかどうか分かりませんが、ガンの発生率も 白人と比べ、かなり高い事が最近の研究では明らかになっています。こういう事が反 映してか、アメリカ各地でいろいろな人種が同じ地区に住むという事は、裕福な人を 除いては、少ない事であり、その黒人街のように、ある同じ境遇の人種が集まってそ れぞれのコミュニテイを形成しているケースがほとんどです。

私だけでなく、ヴェトナム帰還兵の苦難や人種差別についていろいろな情報から知っ ている人は日本でさえ大勢いることでしょう。しかし、今回私が、知っている事をた だ復唱されただけなのにも関わらず大きなショックを受けたのは、結局、知ってはいれど 理解して いなかったという事によると思います。もちろん、私を含め他の人は経験していない ので100パーセント理解する事は不可能にしても、もう少し理解を深め他人事とい う感覚を無くさなければ、この問題に限らずいろいろな面で解決するのは難しいよう な気がします。

アメリカに来て約七ヶ月。恵まれた環境の人に囲まれ、その中で何となくアメリカを 感じ、その限られたヒエラルキーの極一部をみて大体アメリカを分かったような気に なっていましたが、全く理解には程遠い事が今回分かりました。歴史が浅いとはい え、その短い期間のなかで、世界の歴史で例を見ない程のハイスピードで成長し、他 の国の歴史以上にドラマチックに歴史を刻んできたアメリカを、たかだか一年の留学で、しか も本当に恵まれた環境で育ち、目的を持ってアメリカへ来たと言っても、お金で作られ た偽物のガラスのような形だけで名ばかりの、アメリカのそれとは似ても似つかぬパ イオニア精神らしき虚像に自分で酔いしれている我々日本人留学生には到底理解する事 はできないのかもしれません。

‘過去を見ず希望の光を持ち未来を見て生きていこう。’などという奇麗な響きの言 葉を日本でもよく耳にします。しかし、恐ろしくて過去を見るに見れず、又周り の偏見に希望の光が消され、真っ暗で未来を見る事が出来ず足元を確かめるのが精一 杯の人も世の中には大勢いるという事を今回学びました。そして、アメリカンドリーム には‘悪夢’(ナイトメアー)という両極端な二面性も兼ね備えている事も。

経験のない私にはその感覚を心から理解するのは不可能でしょう。しかし、出来るだ けその感覚に近づくよう理解を深め、そういう人達に協力する事は誰でも出来るはず です。何もアメリカにしかそういう人達はいない訳ではないでしょう。私もどういう形でそれを表現 できるか分かりませんが、何とか具体的な形で協力していけたらと思います。

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