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第二十七夜 1998年11月2日
< もう一つのアメリカンドリーム >
私が住んでいる街はマグノリアというシアトルの北西部に位置する高級住宅地であ
り、人々は穏やかで、バスに乗っている時でも、近くを歩いている時でも気軽に声を
かけてくれたりなど、いわゆる良い意味でのアメリカンドリームを達成できたアメリ
カ人が多く見られる場所です。私のシアトルでの活動範囲はほとんどダウンタウンか
それ以外はシアトル北部なのですが、ある日ホストファミリーと話をしていた時に、
シアトルの南部はこの辺りと全く違うと聞き、早速訪れてみました。
ダウンタウンから適当に南部へ向かうバスに乗り、あても無くただ周りを見渡しなが
ら進んでいったのですが、先ずバス内の雰囲気からして北部とは全く違います。誰
も声をかける人などおらず、何か敵意を表しているかのような面持ちで、皆妙に静か
に座っています。そのほとんどは黒人であり皆かなり疲れているような気だるさを背
負いながらバスに揺られていました。なかには、明らかにホームレスと分かるような
人もおり、シアトルの治安の良さに平和ボケしていた私の感覚が途端に敏感になって
いくのが分かりました。周りを見渡せば、マグノリアとは打って変わってほとんど崩
壊寸前の家々が並び、同時に細々と暮らす人々の姿もみえました。
30分程バスに揺られ、脅えはしたものの何事もなく無事に小旅行を楽しんで(?)
いたのですが、いきなり後部座席に座っていた黒人二人が喧嘩をはじめ、バスの中は
突如慌ただしい雰囲気に変わりました。私はあっけにとられてしまい、何とかしなくて
はと思いつつも体が言う事をきかず、オロオロしながら回りを見ると、誰もその喧嘩
など気にする人はおらず、皆ガラス越しに外を眺めているだけでした。しかし、だん
だん喧嘩がエキサイトしてくると、なかには大声で‘ウルセー’などとどなる人も出
てきて喧嘩に加わり、どうにもならない状態になった時、化け物のような運転手さん
がバスを止め、後ろまでノッシノッシと歩み寄り、その小バトルロイヤルの中に入
り、バスの後部口から皆追い出し事を終わらせました。
私もさすがに驚いてしまい、隣に乗っていた人に‘こういう事はよくあるのですか?
’と尋ねると、その黒人の男性は首を10度ぐらい軽く傾けて、YESともNOとも
取れない返事を無表情で答えました。ますます恐怖が私を襲い、次のバス停で降りる
決心をしました。その待っている2,3分の間、今までニュースなどで聞いた、アメ
リカでの日本人留学生殺人事件が私の脳裏を走馬灯のように駆け巡り、‘好奇心’と
いう恵まれた環境で生活する人間のみが賞賛したがる平和ボケ的欲求のみを持ってそ
の場を訪れた自分を心から怨みました。
何とか無事にバスを下りられましたが、今度はまた帰りのバスを待たなければなりま
せん。回りには質素な家々が並び、無表情で庭仕事をしている黒人の老婆とボロボロ
のボールを使ってバスケットを練習している子供達の姿が見えました。特に何か変
わったものがある訳ではないのですが、どこかシアトル北部とは異なり、まして日本
では経験した事が無い異様な雰囲気でした。いつテレビのブラウン管に出てもおかし
くないシチュエーションがそろい、その画面の右上に見える写真にはなりたくない
と、ハラハラしながらなかなか来ないバスを待っていると、道を挟んだ向かいから大
きなバッグを抱え、腕に大きく描かれたきれいな絵(?)を持つ大柄な黒人が私の方
へ歩いてきました。
すると、突然私に向かい片手を突き出し、‘シガレット’と言いだしました。私は慌
ててたじろぎながら、持っていたタバコを箱ごとあげようとすると、一本だけでいいと
答え初めて笑顔を見せました。それから二人そろってバスに乗り同じ座席に座ると、
彼は割合明るい口調で私に話しかけてくれました。そこで私も調子に乗って話してい
たのですが、私が‘外国へ行った事があるか?’と尋ねた時、彼はいきなり暗い表情
に変わり、下を向き小声で、‘一度だけある。’と答えました。再び異様な雰囲気へ
と変わり、またしても冷や汗が出てきました。そしてその10秒後に、彼は小さく
‘ヴェトナムへ。’とつぶやきました。いっきに沈黙へと変わり、私がたじろいでい
ると、彼は両手で顔を覆い深くため息を吐き、小声で‘最悪だった。’と付け加えま
した。
彼に言わせれば、小説も映画もテレビのドキュメンタリーも全て架空のもので
あり、現実のヴェトナム戦争はそんなものでは語れないぐらい残酷な惨事だったそう
です。それはいくら詳細な資料を手にし空想したところで、経験した人以外には不可
能なぐらい悲惨な状態だったといえるでしょう。そして、その悪夢が終わったと思
い、やっとの思いで帰国すれば、家族以外誰も暖かく向かへいれてくれる人はおらず、職
を見つける事すらままならなかったと彼は語ってくれました。そして戦場での友人と
の残酷な死別という悪夢の様な消すに消せない映像を胸に刻んだまま今日まで生きて
きたそうです。私が外国人で無知であるからか、彼はバスに乗っている間いろいろと
話してくれました。一仕事を終えた彼はシアトルを去り故郷のデンバーへ帰る途中で
した。
彼以外にもヴェトナム帰還兵で戦後かなり苦労した人はたくさんいるそうです。特に
黒人の人達は人種差別も重なり、職を得る事を始めかなり障害があったのではと感じ
ます。また、余談ですが、黒人のほとんどは、ただ白人主流社会に住んでいるという
だけで、知らず知らずのうちに白人よりも何パーセントも多いストレスが自然に体に蓄
積するそうです。また、それと関係があるかどうか分かりませんが、ガンの発生率も
白人と比べ、かなり高い事が最近の研究では明らかになっています。こういう事が反
映してか、アメリカ各地でいろいろな人種が同じ地区に住むという事は、裕福な人を
除いては、少ない事であり、その黒人街のように、ある同じ境遇の人種が集まってそ
れぞれのコミュニテイを形成しているケースがほとんどです。
私だけでなく、ヴェトナム帰還兵の苦難や人種差別についていろいろな情報から知っ
ている人は日本でさえ大勢いることでしょう。しかし、今回私が、知っている事をた
だ復唱されただけなのにも関わらず大きなショックを受けたのは、結局、知ってはいれど
理解して
いなかったという事によると思います。もちろん、私を含め他の人は経験していない
ので100パーセント理解する事は不可能にしても、もう少し理解を深め他人事とい
う感覚を無くさなければ、この問題に限らずいろいろな面で解決するのは難しいよう
な気がします。
アメリカに来て約七ヶ月。恵まれた環境の人に囲まれ、その中で何となくアメリカを
感じ、その限られたヒエラルキーの極一部をみて大体アメリカを分かったような気に
なっていましたが、全く理解には程遠い事が今回分かりました。歴史が浅いとはい
え、その短い期間のなかで、世界の歴史で例を見ない程のハイスピードで成長し、他
の国の歴史以上にドラマチックに歴史を刻んできたアメリカを、たかだか一年の留学で、しか
も本当に恵まれた環境で育ち、目的を持ってアメリカへ来たと言っても、お金で作られ
た偽物のガラスのような形だけで名ばかりの、アメリカのそれとは似ても似つかぬパ
イオニア精神らしき虚像に自分で酔いしれている我々日本人留学生には到底理解する事
はできないのかもしれません。
‘過去を見ず希望の光を持ち未来を見て生きていこう。’などという奇麗な響きの言
葉を日本でもよく耳にします。しかし、恐ろしくて過去を見るに見れず、又周り
の偏見に希望の光が消され、真っ暗で未来を見る事が出来ず足元を確かめるのが精一
杯の人も世の中には大勢いるという事を今回学びました。そして、アメリカンドリーム
には‘悪夢’(ナイトメアー)という両極端な二面性も兼ね備えている事も。
経験のない私にはその感覚を心から理解するのは不可能でしょう。しかし、出来るだ
けその感覚に近づくよう理解を深め、そういう人達に協力する事は誰でも出来るはず
です。何もアメリカにしかそういう人達はいない訳ではないでしょう。私もどういう形でそれを表現
できるか分かりませんが、何とか具体的な形で協力していけたらと思います。
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