1998年8月

第十八夜  1998年8月26日

< モラルの欠如 >

アメリカに来たばかりの頃から、良い英語の勉強になるからと大学近くの教会に行く事を勧められていたのですが、いくら歓迎するといわれても、神を一度も信じたことがない人間が、その最たる教会に顔を出すというのは道理に反するのではと思い、興味はあれどためらっていたのですが、先日そこの教会が多くのビジタ−を交えて毎週金曜日にバイブルスタディだけでなく国際交流のための催しを行っていると聞き訪れてみました。 ドアの前に立つと、大柄なジ−ンズ姿の男が満身の笑顔で私を迎え入れてくれました。この方はこの教会の神父だと後で分かったのですが、生れて初めて悪意の欠片も見えない瞳を目の当たりにしました。大概、初対面であのような笑顔をする人間は、目の中がドル(円)マ−クだったりするのですが、この神父さんの瞳は、心の底から善意に満ち溢れ、しばし圧倒されていました。しかし、6年間のバ−テンダ−生活で疑う事が体に染み付いている私の感覚は、すぐにはその神父さんを信じさせず、早い時間で私以外誰もいなかったのでいろいろ質問を試みる事にしました。 まず、神がいるのにどうして犯罪はなくならないのか?神父‘信じればこそ神は存在する。皆が少しずつ信じる事により全てが解決する。’その後もいろいろ質問を考えていたのですが、あの言葉というより、あの瞳がどうしても私が考えていた、ひねくれたクダラナイ質問を封じ込めてしまいます。そうこうしていると、約20人程の人が集まり、部屋の中は国際色に包まれました。韓国、台湾、ケニア、ボスニアetc、様々な人種が集まりましたが、それぞれの瞳は神父さんのそれらとまではいかないまでも筆舌に尽くしがたい輝きを見せ、何ヶ国も集まっているはずなのに私だけ一人外れている様な気がしてなりませんでした。この日はヴァケ−ションにはいっていたからか、私以外皆信者であり、やや戸惑っていると皆心配そうに私に話掛けてきました。 あまりその様な下心のない優しさを経験した事が無い為、さらに戸惑ってしまいました。それからバイブルスタディを1時間ほど行いそれから皆と自由に話しをしていたのですが、その時、一つのものに対して同じ心を持っている人間の強さに直面したような気がしました。日本は単一民族であり人種は一つであれど人の価値観は様々であり、どこか、日本人とは、という部分に欠けている弱さを同時に感じました。もちろんそこに集まった人達の物に対する価値観は様々であるはずですが、モラルと言う事に関して皆一つであり、神を信じる事によってそれが不変に保たれています。最近のオウムの事件などで宗教というものが日本でも前面にだされその意義が問われていますが、オウムは別として、他のほとんどの宗教でそれを信じている人の中では、日本人が、 ‘自由とモラル’という観点で話し合わなければならないような事のほとんどは、神が存在するという信念のみで解決してしまいます。日本の無宗教そのものを否定したいとは思いません。しかし、そのために援助交際を始め、馬鹿げた犯罪が蔓延している事も事実です。神を信じる事によりその様な事は論外であり、話し合う必要性など全く無く、ましてや、変な名前の法律で差し押さえなければならないなどと言う事はありえない話です。日本では神を信じるなどというと、そこでマイノリティになってしまいますが、それ以外の多くの人が、神という歯止めがないために、モラルの欠如がエスカレ−トしていく世界に溶け込んでしまう可能性を秘めているのではと危惧の念をいだきます。 また、前述した援助交際など、神の力を借りなければ解決できないと思うと、日本という国は一見平和にみえますが、紛争がしばらくないためその危険性が大きな変化として見えないだけで、少しづつ取り返しがつかない状態に陥りつつあるのではと・・・・・考え過ぎかな?

 

第十七夜  1998年8月17日

< 最低のサ−ビス >

第二クォ−タ−も残り一週間で終了し、次クォ−タ−からやっとワシントン州立大学(UW)の授業 (アメリカ人に囲まれて勉強できる授業!)が受講できます。それにあたって、先週、説明があったのですが、 どうも最初に契約した時と話がくい違い、また金銭的な問題で、やや不透明な 部分が出てきてやや混乱しています。 最初からやや契約時とは違った点が幾つかあったのですが、例えば日本人だけの クラスにはならないはずだったのですが、実際にはそうであったり、インタ−ンシップ (これは第四クォ−タ−ですが)に行ける企業が、契約時に言われていた企業には ほとんど行けなかったり。しかし、その点については、良く考えれば当たり前の事と納得 (?)できるのですが・・・・。つまり、苦労して何年も勉強し、正規の難しい テストに合格した日本人が、自分が取りたい全ての授業を取る事ができ、しかもインタ−ンシップに 好きな所へ行けるよう待遇されるべきであり、我々のようにトッフルでちょっと基準を満たし、お金を払っただけの 学生が同じように扱われてはそれは道理に反するということです。 しかし、最初は戸惑ったものの、前述したと思いますが、すばらしい先生に恵まれ、 カリキュラムも実践的なものがほとんどですので、それなりに満足していたのですが、 ここに来て、やっとUWの授業が始まると言う所に来て、また皆が戸惑う問題が浮上してきました。 少し込み入ってますので内容は省きますが、金銭的な問題と皆が契約した保険会社の事でちょっと不透明な点があります。 しかし、既にサインをして全額支払っていますので、全ては自分達の責任なので、ちょっと怪しいと思われるお金が返ってくるとは思いませんが、 それならそれでその理由だけでも、と思い、皆で先週の木曜日に集まる事にし、我々が契約した会社の方に来てもらおうとしました。 しかし、驚いた事に、忙しいから来れないと断ってきたのです。 その方のメインの仕事が別にあるのなら仕方ないでしょう。 しかし、彼女のメインの仕事は我々の疑問などに答えるカウンセリングが最も大切な仕事であるはず。内容は事前にある程度説明しておいたので、 いやな仕事だとは思います。しかし我々は、なにもお金を返せとか裁判沙汰にしようとか、そういう事を言ってる訳ではないのです。 ただ不透明な部分をクリア−にしてほしいと言っているだけです。それが、やや不当なことでも仕方ないでしょう。 サインしたのは自分ですから。しかし、それでも彼女は来ようとしません。 もう商品を明け渡したので関係ないと言うような印象を受けましたが、しかし我々はまだその半分しか食べ終わってないのです。 当然お客として聞く権利はあるはず。この不景気でどこの会社も顧客へのアフタ−サ−ビスまで熱心だというのに、ちょっと呆れてしまいます。 来年以降我々が最高のセ−ルスマンになると言う事をまだ分かっていないようです。 先払い一括というのは一番恐ろしいと言う事も分かっていないようですね。もう彼女の中では責任を果たしたつもりになっているようですが、私たちにしてみればまだ進行中なのです。 前述したように商品それ自体は素晴らしいと思います。しかしこの商品は他の会社を通しても買えるものです。 私がもし、来年以降だれか留学したいという方に出会ったら、この商品は進めますが、他の会社を進めるでしょう。 アメリカボケしているのか、まだその程度の事が分かっていないようです。 また、もう一つの問題ですが、この会社が契約している保険会社に我々は入っているのですが、ほとんど機能しない事が最近になり分かりました。 先日私の友人(日本人)のアパ−トに空き巣が入り、コンピュ−タ−を始め高価な物が盗まれてしまったのですが、この保険では一銭も返ってきません。 もしこれがホテルであれば支払うと言うらしいのですが、留学斡旋会社が留学生に勧めた保険で、ホテル以外は対象外というのはどういう事でしょう。 ほとんど読む事を拒否させるような約款には曖昧な表現で記載されているようですが、はっきりとは書いていません。 どうせ他の保険も似たような物だろうと思っていたのですが、同じような金額ですべてカバ−されるものもあるそうです。 これも、上記の問題と同じでサインしてしまったものは仕方ないのですが。 なんとも、この会社には呆れてしまいます。 今回の事で二つ大きな事を学んだと思います。 一つは曖昧に判断してはいけないと言う事、そしてもう一つは、商品を渡した後もお客様の状態をうかがい続けるべきだと言う事。 特に後者は私の仕事に大きく関係していますが、・・・・・・その程度の事、私の働いていたレストランの一年生でも理解している事ですが・・・・。

 

第十六夜 1998年8月10日

< アメリカのドリンク事情 >

第二クォ−タ−も中盤を過ぎこのクォ−タ−のメインプログラムであるジョブインタビュ−を 行う週になりました。前述したカンリスは残念ながらオ−ナ−が多忙であるためなかなか捕まらず、 残念ながら別のレストランを訪れる事になりました。シェシアと言うレストランでベ−スはフレンチ ですがアメリカ風にアレンジして調理しているそうです。前回のシマ−ニアさん同様オ−ナ−シェフの方でしたが、 二人とも話す内容はほとんど変わりなくその熱意が特に印象的であったのみです。しかし、日本では、 日本人以外は仕事に対して積極的でない印象を持っている人がかなりいますが、このシェフいわく、 アメリカの料理人のほとんどは平均労働時間12−3時間で、ほとんどが週休1日であり日本のレストランと ほとんど変わりありません。また、日本人がアメリカ人に対し手が不器用だという印象を持っているのが 気に障るらしく、自分の料理の繊細さの主張に加えて、世界で最も緻密な仕事が出来るのはアメリカ人 だと胸を張って言い切り、その裏付けとして‘MSNはアメリカの会社だ’と分けの分からない事を いいだしました。それではとカクテルの話を私から切り出し、なぜもっと丁寧にアメリカ人は作らないのか、 と尋ねるとその意味が伝わらず、首をひねっていましたが、具体的な例をだしいろいろ説明していると 今度はそれが何だという顔つきに変わりました。アメリカではレストランで味が気に入らないからと 言ってキッチンへ料理をつき返す事が頻繁にあるそうです。カクテルでも作り直しをさせる事が同様に よくあるらしいですが、どうもその理由が日本とは違うようです。およそ日本のバ−テンダ−が気遣う ‘水っぽくならないように’という事にはあまり執着心がないようです。彼はコックであるからかどうか 分かりませんが、あまり深くは説明しませんでしたが、ただ彼が主張したなかで、日本のバ−テンダ− 同様に大切な部分は‘誰が作るか’という事であり、それはアメリカでもやはりバ−での重要なポイント らしいです。しかし、最近あまりバ−とよべる店へは行っていないのですが、私が訪れたバ−でそこの チ−フバ−テンダ−らしき人が作るのを見て是非飲んでみたいと思った事はありません。まだ私自身 アメリカでのバ−経験が少ないためはっきりとここで結論を出す事は出来ませんし、それはアメリカの バ−テンダ−に対してかなり失礼にあたると思いますので控えさせて頂きますが、カクテルに対して 求めているものがかなり違うという事は確かだと思います。しかし、カクテルに限らずアメリカ人の 飲み物の味覚はよく分かりません。ビ−ルは水のようにライトなものが主流であるにも関わらず、 ワインは濃厚であればあるほど皆賞賛したがります。皆ロバ−トパ−カ−Jrの好みに汚染されて いるのかもしれませんが、ほとんどのアメリカ人のワインの好みは、ビ−ルのそれとは反比例しています。 またコ−ヒ−もスタ−バックスの大規模チェ−ン展開が象徴しているとおり、エスプレッソが主流に なっていますが、ミルクは‘FAT FREE’という、ミルクの水割りのようなものを皆好みます。 しかしこの‘FAT FREE’という言葉はミルクに限らずいろいろな食品に使われますが、要は 太らないと言う意味らしいです。私の近所のオバサンはFAT FREEミルクを‘太らないから安心 よ−’といって1リットルほど飲んでいるらしいですが、それならおいしいミルクを500cc飲んだ方が 良いのでは・・・と思いますが、しかしその味自体も決してきらいではないらしいです。私は牧場のミルクを 喜んで飲む人間ですので、このウォ−タ−ミルクにはまだ慣れません。(もちろん私のホストマザ−も FAT FREE派です。残念ながら。)また私のホストファ−ザ−は日本が好きだと言って緑茶を愛飲して いますが・・・・・たっぷりの蜂蜜入りです。しかし、コ−ヒ−はブラックを好みます。食べ物に関しては いろいろなレストランに行きましたが、メキシカンと中華はさすがに移民が多いだけあっておいしい レストランが多いですが、その他は大味であるにも関わらずほとんどの料理は塩が足りないような気がします。 最初はFAT FREE同様にヘルシ−ブ−ムの影響かな、と思いましたが、どのレストランでも必ず塩と胡椒が (店によってはケチャップも)テ−ブルに置いてあり、前述したように、味にうるさいお客様のために 塩は軽めにしているそうです。しかし塩以外で大味である点は問題ないようです。ウイスキ−に関しては これもバ−にあまり言っていない為、なんとも言えませんが、雑誌などを読む限りにおいて日本とあまり 変わらないような気がします。また、レストランでの食後酒は、日本人よりはるかに飲む人は多いと思います。 しかし、(個室かバ−を持つレストランを除いて)葉巻は外でしか吸えません。 しかしカクテルだけは謎に包まれたままです。 シェシアのオ−ナ−の謎めいた顔が気になります。 9月のヴァカンスでシアトルのバ−テンディングスク−ルに参加しようと思っていますが、その時多少の 手がかりが掴めるのではと期待しています。その時詳しくこの事に触れたいと思います。しかし、 日本とアメリカのカクテルの価値観は全く違うと述べてしまいましたが・・・・・無垢は別として、日本の ほとんどのバ−で極めて多いオ−ダ−は‘甘くてフル−ティ−で飲みやすくて色がきれいなカクテルを・・・’ という駄菓子屋でアメを探しているかのような注文であるような気がしますが・・・・。

 

第十五夜 1998年8月5日

< 文化の違い >

シアトルに来て約四ヶ月以上経ちました。着いたばかりの頃と比べるとまだ自分自身の中で 大きな変化がありませんが、多分それを願う事自体大きな錯覚なのではないか、と考えるように なっています。確かにここは日本からかなり離れた国であり文化も歴史も、もちろん人種も異なった 土地ですが、この文明が発達した世の中で、都市(東京)から都市(シアトル)に移っただけで岩倉 使節団のような全ての価値観を変えられるような事はありえないのではないか、と感じています。 確かに細部をみれば違いは多くみられます。前回までにもいくつかその例を紹介させて頂きましたが、 ほとんど新しい発見というより改めて当たり前の事を認識させられたのみであると思います。それらは 当然私の中で大きな成長であるだろうし、又は知識の増加とも言えるでしょうが、しかしこれまでの 私の延長線上に加わったのみといえるでしょう。決して新しい自分を発見したり、又はこれまでの 価値観を覆されるような驚きには到底及びません。私の家には他にUAEからの留学生もいます。 彼とはよくお互いの国の事を話しますがそこでお互い信じられないような事は全くありません。 もちろん宗教の事や生活習慣の違い、多少の価値 観の違いはあります。しかし、音楽や映画の話で 意気投合したり彼の彼女の話でからっかたり、日本の友人達が笑うような話で同じように笑い、 彼はコンピュ−タ−に精通しているのでいろいろ教えてもらったり・・・。しかし、それが普通なのでしょう。 いろいろな分野でグロ−バルにビジネスが広まっている世界で各国がそれぞれステレオタイプのままで いる訳がありません。ほとんどの国では既に違いをそれ以上に感じる事は出来なくなっているのかも 知れません。つまり、何か接している中で自国の習慣や考え方に違いを感じてもそれに対して今まで 感じる事が出来なかったような感激や落胆などは望めない、という事です。それは、日本が鎖国をして いた頃では逆に全てがそうであったのかもしれませんが、今の世の中ではある程度発達した国どうしでは かなりその可能性は低いといえるのではないか、と残念ながら思います。しかし、私は日本と密接に 関係のあるアメリカ人か、他の国の人でもアメリカを通して知り合った人にしかあっていません。 当然、アメリカ人は前述した通り日本人と同じような価値観を持った人は多いと思いますが、どうも、 特にUAEの友人など、もっと驚きがあってもよいのでは?と感じます。彼もアメリカに留学を決めた 一人であり、少なからずグロ−バルな感覚を持っているでしょう。それが、本来彼らが持ってる 日本人とは全く違う文化や感覚などがアメリカで表に出てくるのを妨げているのかもしれません。 しかも話す言葉は英語です。私も彼も知らず知らずのうちにアメリカ人を真似て会話しています。 おそらく日本語で又はアラビア語でお互い流暢に話が出来たら、また違った物が生まれてくるのかも しれません。(書く前に考えていた結論がどこかに行ってしまいました。かなり前半部分と矛盾していますが・・・) きっとそうでしょう。なんとなく始めたフランス語ですがちょっと真剣に取り組んでみようと思います。 ぜひ、この事をいつか確認したいと思います。必ず新しい発見があるのではないか、と思います。 しかしその前に英語をもっと完全にしなければ・・・、それとまた来年から、そのために先立つものを稼がないと・・・。 フランスか−。もっとおもしろいエッセ−が書けそうな気がします。

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