1998年7月
第十四夜 1998年7月28日
< 日本人として >
私が住んでいるシアトルと言う街の地名はこの土地の先住民(インディアン)のある長の名に由来しているそうです。彼は1854年にアメリカ政府がこの土地を売るよう求めた時の首長でした。以下にその時の彼のスピーチを紹介したいと思います。私の下手な訳でどこまで彼の意図することが伝わるか不安ですが・・・・。‘我々の土地を売るよう求めている。しかし、空を、そして大地のぬくもりをどうして売買できようか。空気の新鮮さ、水のきらめきが我々の物でなければ、如何に買う
と言うのであろう。大地は人を恐れている。輝く松の葉、砂浜、そして暗い森の霞たちは我々に困り果てている。我々が伝えつづけている事を子供たちに教えよ。大地は母なり、大地に起こる事全てはその子に降懸かる。我々は知る、大地は人間の物ではない。人間が大地の物なのだ。我々は知る、全ては繋がっているのだ、一族が血で結ばれているように、全ては繋がっているのだ。しかし、我々はその申し出を考慮するつもりだ。我々は離れて暮らす、そして静かに。残りの我々の日々をどこで費やそう
が大した事ではあるまい。それほど長くはなかろうし。我々の土地を売ったとしたならば、愛してほしい、我々が愛したように、大切にしてほしい、我々が大切にしたように。一つ、私は知る、神は同じである。大地は神の宝である。結局、我々は兄弟で
あろうか。では、それを分かち合おうではないか。’先日シアトルでネィティブアメリカン(インディアン)のフェスティバルが開かれま
した。そこで何人かの現在のインディアンと話しをしましたが、彼らはかなりシャイ
でなかなか多くを語ろうとしませんでしたが、(インディアンのルーツはやはりアジアなのだな、と感じました)大変自分達の文化に誇りを持っており、何とかその文化を伝えていきたいという一種の義務感を一人一人が背負っているかのようでした。しかし、彼らは文字を持たない為、口頭で伝えていく以外に方法がありません。それが
インディアンの子供たちに正確に伝えられていけばいいのですが、彼らも現在はアメ
リカ人ですので、事実を捻じ曲げたハリウッド映画などに汚染されないとは限りません。またそのトータルなネイティブアメリカンの歴史を知ろうと思ってもそれぞれの
種族が違った言語を持つ為かなり困難なようです。しかし、彼らの誇りと熱意を目の
当たりにするとインディアンの灯は輝き続けそうだなと感じます。日本でもシアトルのインディアンが土地を奪われた頃、アイヌ民族が明治政府に土地を明け渡されまし
た。現在までインディアンとアイヌ民族にとってほとんど同じ時間が流れています。
アイヌのほうがやや長いくらいでしょう。しかし、残念ながら、そして私個人にして
みれば、恥かしながら、アイヌの文化に関してほとんど分かっていません。アメリカ
でも法律のレベルではまだまだと言えど、人々のお互いの文化を認め合おうという姿
勢は日本のそれとはかなり異なります。いろいろなバックグラウンドの人種が集まっ
ているせいかもしれませんが、日本人が見習わなければならない部分でしょう。単一民族だからとは言え、隣の国のお米が気に入らないからと言って鳥の餌にしてしまっているぐらいですから。また、自分の国の文化や歴史を語り伝える事も日本ほど欠けている国はないでしょう。よくアメリカは歴史が浅い国だと日本人が卑下するのを聞き
ますが、あっても語れなければ無いのと変わりません。幸いにして日本語は変化してはいますが文字が早くから存在するため、いつでもその歴史を知る事は出来ます。し
か
し、これも知ろうと思わなければないのと一緒でしょう。留学する直前に本屋で‘外国人に聞かれて困らない為の日本の歴史と文化’などという本を立ち読みしていた自分が情けないです。またその様な本が存在する事自体恥ずべき事でしょう。自分自身
の未来を考えるのは容易ですが、もう少し日本人としての義務と後世への責任を大切にすべきだな、と感じさせられました。日本に帰ってからの宿題がたくさんできたような気がします。
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| 第十三夜
1998年7月22日
< アメリカらしいサービス >
第二クォーターも中盤に差し掛かり、またジョブインタヴューをする事になりました。今回は前回よりも更に具体的な内容になると思います。前回はシマーニアというレストランのオーナーにインタヴューさせて頂き大変感銘を受けましたが、今度は更にランクの高いレストランのオーナーにインタヴューしてみようと思っています。そのレストランはカンリスと言うレストランでまだ雑誌で見ただけなのですがかなり客単価の高いレストランで有名です。もちろん料理だけでなくサービスのレベルも申し分なくいろいろ勉強になるのでは、と考えています。またそのオーナーにインタヴューしてみたいと思ったもう一つの理由は、彼がオーナー
シェフではなく完全な経営者であるというと言う事です。また、彼はいくつかの大学に出向きスモールビジネスのゲストスピーカーとして講演したりなどレストランビジ
ネスの成功者としても大変惹かれます。前回のシマーニアさんは典型的なオーナーシェフであり、話の内容のほとんどは料理とサービスについてでしたが今回は経営に
ついていろいろ勉強させて頂こうと思います。ただ一つ残念なのは私自身その経験がないのと、日本でそのような方とレストランビジネスについて話を十分にした事がないため、比較しながらインタヴューを進められないという事です。私が以前働いてい
たレス
トランの経営者もオーナーシェフでしたし、その社長の関係で話をさせて頂いた方々も全てオーナーシェフでした。おそらくオーナーシェフであっても現場から離れたオーナーであっても基本的な部分は変わらないと思いますし、それよりもその人自身の経営思考と能力が大きな違いを生むのでしょうが、何となく私の中ではっきりしない部分があり、その事についても少し伺ってみようと思います。また日本に帰ってか
ら学生に成りすまして日本のレストランオーナーにインタヴューしてみようと思っていますが、その時比較できる事でしょう。カンリスにはまだ客として出向いた事はないのですが、シマーニアを含めこちらのレストランのサービスには大変感心させられます。もちろん日本にも素晴らしいサービスを提供しているレストランはたくさんあります
が、感心させられる部分がどことなく違うような気がします。日本にいた時から自分
の興味と仕事のレベルアップのため給料明細とにらめっこしながらよく都内を中心に
レストラン回りをしていましたが、その時私が‘素晴らしい’と感じた部分が、今アメリカのある程度のレベルのレストランで食事しサービスを受けた時に感じる素晴ら
しさとはかなり違うような気がします。つまり、例えば日本のフレンチレストランで感激させられたポイントはいかにフランスらしいか、と言う事でありイタリアンに行けばいかに、イタリアらしくサーブしてるかという事だったような気がします。全てではないと思いますが、ほとんどのレストランは、無意識のうちにその料理の国らし
さを求め続け、いかに近づけるかに力を注いでいるような気がします。
在日フランス人をターゲットにしているのであれば別ですが、およそ日本人がほとんどのロケーションの店でメニューがフランス語で書かれているのは、その最も顕著な
例ではないかと思います。ましてやイタリア人の名前をつけて無理に陽気にサービス
しているのは、そのやや・・・・・ではないかと感じます。ではアメリカのフレンチ
レストランはどうかというと、まさにアメリカ人のサービス、アメリカ人から見れば
さらに具体的にシアトルらしいサービスと言えると思います。もちろん彼らはアメリ
カ人ですので、‘アメリカらしく’と言う事は全く考えていません。当然ですが。ただそのターゲットにしているお客様、レストランの雰囲気、料理にあった自分達らし
いサービスをしているだけです。もちろんそれは前提であって、無意識のものであり、心がけている事は、‘お客様を満足させる’ことのみではないかと感じます。もちろん日本のレストランもその事に重点をおいていると思いますが、しかし心のどこかに、無意識のうちに‘〜らしく’という事が隠れているのではと思います。しかし、私はそれが決していけない事ではないと思っています。なぜなら、日本人の多く
のお客様も同じように‘〜らしさ’を強く求めているからです。やや複雑に絡み合っていますが、結果として、‘お客様の求める事をレストランは追求する’という定義に基づいていると言えると思います。客単価が一万円を超えるようなレストランでカ
タカナだけのメニューをだされたら何となく物足りない印象を受けるでしょう。それはそれで、ある意味、それが‘現在の日本らしさ’と言えるのではないか、と思います。ではアメリカらしいサービスはというと、私の貧相な言葉で表すと、どうしても
誤解を招く表現になってしまうので控えさせて頂きます。ただ、一般的に日本で思わ
れているアメリカ人らしさとは全く違います。アメリカ人らしくフレンドリーなので
すが・・・・・。やっぱりやめておきます。 |
| 第十二夜
1998年7月13日
< 当たり前の事を >
シアトルのダウンタウンを歩いていると車椅子に乗っている人をよく見かけます。日本では病院以外ではなかなか見かけられませんが、シアトルでは街中でも、私の家の近所でも、ライブハウスやクラブでもよく見かけます。まるで、日本と比べて足の不
自由な人の割合が多いような気がしますが、決してそういう訳ではなく、シアトルの町全体が障害者に対して充分な配慮を行っているという事によるのだと思います。土地の広さによるのかもしれませんが、歩道が広く、また、バスには車椅子の乗客が容易にバスに乗れるよう乗り口が配慮されており、またちょっと大きめのライブハウスには
車椅子でも上れる通路がよういされています。その他にも至る所でその様な設備や心配りがよく見受けられます。しかし、全てにおいて差別(区別)的な雰囲気は全
くなく、例えば、目が悪い人に対して、視力が悪いから眼鏡を掛けていると思うのと変わらないような印象を受けます。先日、バス停でしばらく待たされていると、ある車椅子に乗った女性が話
掛けて来ました。その人は四十前後ぐらいに見えましたが、洋服をみると決して高価
なものではありませんが、非常にオシャレに着こなしており、髪型も個性的で
(ちょっとキバツでしたが)、そのことを誉めると、それを皮切りにいろいろ自身の
事を話し始めました。しばらく彼女の人生の自慢話が続きましたが、足の話はいつまで経っても出てきません。彼女の話の中で約三十年ほど経った時やっと口を閉じたの
で、これからどこに行くかを尋ねると、銀行に行くと答え、そしてやっと足の事に触
れました。足が不自由だから車が使えない。バスを待つしかない。ちょっとメンドー
ね。と言って高らかに笑っていました。彼女はそうとしか言わなかったので私からいろいろ聞く訳
にもいかず話はそこで終わり、彼女のバスが来てしまいました。そしてバスに電動の車椅子で一人で上がり、専用の場所に入る時に運転手ともう一人の別の乗客が手を貸
し、そしてバスは去っていきました。そこには、充分な心使いは見えても、変な同情も哀れみもありませんでした。ただ、“特別な感情はありません。しかしちょっと大変そうだから、ちょっと手を貸しました。”それだけです。その一部始終はごく当たり前の事であるにもかかわらず、私には非常に新鮮に見えました。彼女は非常に明るく、自信に満ち溢れていましたが、足を失った時は世界中の同じ境遇の人々同様にかなり落胆
した事と思います。しかし、彼女自身の努力がかなり今のあの生きる自信に貢献しているにしても、そのチャンス見出せたのは、シアトルの行政と人々の心配りのおかげでしょう。ごく当たり前の事ですが、日本ではなかなか難しいようです。私の出身の街でも前々から、町の全ての設備とはいかないまでも、せめて養護学校の設備をもう
少し整えてほしい、という申し出がなされて久しいですが、その間、数年前にりっぱなゴルフ場はできましたが、(ちなみに、あまりに立派だからかどうか分かりませんが、テレビで放送されていました。いかがわしい町の役人の顔と一緒に、しかもニュースキャスターの重々しい口調と共に)いっこうに、なんやかんやと理由をつけてすすみません。“困ってるから、手を貸す。”このような当たり前の事が町の力をもってしても出来ないような難しい事でしょうか?もちろん、シアトルの行政が完全にクリアーだとは思いません。知らない所で、どういうお金が回っているのかも分かりません。しかし、結果としてその当たり前の事を難なく実現し、細かい事をぬきにしても、人々が快適に過ごせるようにしている事は事実です。一般市民からの非常に初歩的な、ごく当たり前の、簡単に解決できるはずの申し出ですら実現不可能な日本では、政治が縁遠いものに感じても仕方ないでしょう。関係ないのですから。
もし日本で本当に変換が始まるのであれば、当たり前の人間らしい感情を大切にした、また、目に見えない柱にしたものであってほしいと思います。 |
| 第十一夜
1998年7月7日
< 日本らしさ? >
シアトルでは‘テリヤキ’という名の日本料理らしきレストランを多く見かけます。
和食といえばスシかテリヤキをアメリカ人は連想するでしょう。来たばかりの頃どんな照焼きかと好奇心いっぱいで行った事がありますが・・・・・・・好奇心だけ満たされました。店員の一人になぜ日本にないスタイルのレストランが和食としてはやっているのかをその時聞きましたが、中国語なまりの英語だったせいかその時の私には理解できませんでした。それから二月以上たち、またやや和食が恋しくなってきたので、ちょっと値が張りますがシアトルではなかなか評判のよい和食のレストランに行く事にしました。入り口はいかにも和風といった趣でしたが、やや誇張しすぎていて日本ではおよそ、アメリカ大使館の隣のホテルを除いて、見る事はできない雰囲気です。入るとすぐに、新入社員らしきやや緊張した若いアジア系の店員が‘アリーガトウゴザイマーシタ’と、とんでもないセリフで向かえいれてくれ、席へと案内してくれました。周りを見渡すと、真っ赤な壁に大きな凧が三つほどと中国語が書いてあるお皿が逆さに飾ってあり、外を見ると、一応中庭があるのですが、石の置物がデタラメに所狭しと並べられており、あれは何かと聞かれれば日本庭園と答えますが、本来のそれとは似ても似つかなく、川上監督の物まねのような独立したものといえると思います。耳を澄ませば、長渕、浜省の曲が聞こえ、その不思議な空間にいると今自分はやっぱり日本を離れているのだな、と改めて感じさせられ、益々日本が恋しくなりしみじみとしていると、着物をきた日系人の女性がオーダーを取りに来ました。メニューにはテリヤキ、ヤキソバ、ステーキ、スシ、と駄目押しとも言える品揃えでしたが、無駄遣いは控えようと思いヤキソバをオーダーしました。すると五分後に鉢巻きをした東南アジア系の職人が現れ目の前で私のヤキソバを作り始めました。肉と野菜を炒め(痛め?)始め、次に塩とコショウを加える時に、いきなり目を輝かせ、その塩とコショウの入れ物で太鼓のようにテーブルをたたき始め、次の瞬間その二つの入れ物をお手玉のように上下左右に飛ばし、最後は右手で投げ背中から左手を伸ばしそこでキャッチしました。非常に満足そうでしたが、彼が遊んでる間も、ヤキソバは加熱されている事を知っていたのかどうか疑問です。さっきの軽やかな手さばきとは対照的にぎこちなくこびり付いたヤキソバを剥し始め、その後ソースをあびるほどかけ、しっかり焼くというより煮て私の皿にソースを切りながらのせました。まだ成長段階の私の英語に感謝します。心がこもらない分、誉め言葉をへーキでなんとでも言える物です。日本恋しさに訪れたはずが異国にいる実感をますます助長され、それでも陽気なコックさんに気遣いニコニコしながら帰ろうとした時、‘いかがでしたか’と不意に流暢な日本語で別の店員に尋ねられました。やっぱり私は日本人です。不意をつかれたというのもありますが、しっかり日本人らしく内に込めた物を苦笑いで表現していました。 |
| 第十夜
1998年7月2日
< ゲイパレード >
よく耳にする事であまり理解していない事はよくありますが、ゲイについてもそれが当てはまるのではないかと思います。授業でディスカッションの練習をすることになりその議題としてゲイが取り上げられたのですが、私を含め日本人の友人は皆、英語の練習以前にその知識のなさに言葉が出ずその時間を無駄にしていたように思います。しかし、アメリカでは大きな関心事であり、具体的に同性結婚、ゲイ夫婦の養子、軍隊での規制、職場での差別などが問題になっています。大都市を中心に少しずつ認められてはきてはいますが、いくら法律で認められたとしても、身近な周りの人々の理解が不十分なためゲイの人達の苦難はまだ取り除かれない、というのが実状と言えるでしょう。最近では、ゲイになる原因は遺伝子によるのではないか、という研究が進められ、まだ結論は出ていませんがかなり有力であり、もしそうであるならば、それは本人では避けられない事であり、なおさら法以上に一般の人達が偏見を無くさなければいけないのでしょうが、進んでいるアメリカでさえ、誤った理解からの差別的な見解を持った人はまだまだ多く見られるようです。そういった世間に対する訴えの意味があるのか分かりませんが、サンフランシスコやニューヨークで定期的にゲイパレードという催しがあります。先週の日曜日にシアトルでも行われ、さっそく見てきましたが、私の考えていた物とは大きく異なり予定の半分の時間もそこにいませんでした。そのパレードはブロードウェイという通りをヴォランティアパークという公園に向かい行進していくのですが、馬鹿げた衣装をまとい狂ったような派手な振る舞いをしながら、さながら“自分達はお前達とは違うんだ。区別(差別)してくれ。”と、本来の彼らの主張とは全く逆の行動をさらけ出していました。それは一見楽しい物であり、お祭りだからと言えばそれまでですが、彼らというよりも本当に差別的な行為を受け苦しんでいるゲイの人達にしてみれば、自分達に対する誤解を助長しかねない非常に迷惑な行いではないかと感じました。もし、ゲイの人達全てが自分達の世界を大切にし一般的な世間とは一線をおく事に同意しているのであれば、そのパレードも“ゲイの人達っておもしろいね。やっぱりちょっと違うね。”と言ってめでたく終わるのでしょうが、多くのゲイの人達の求める事は差別をなくし、平等な権利を法律だけでなく、世間そのものに認めさせる事にあると思います。そうであれば、あのパレードの持つ意義はいったい何であろうと疑問を持たざるを得ません。中には自由を乱用し趣味としてゲイを装っている人がいると聞いた事があります。もしそういった人達があのパレードで趣味として逆に区別(差別)をさらけ出し、それを楽しんでいたとしたならば、決して許される事ではないでしょう。先進国であるアメリカでさえこの有り様ですから、日本を含め他の国では更に深刻な事態になっているのではないか、と危惧の念を抱きます。一日も早く遺伝子の研究が進みエイズのように(これも十分とは言えないでしょうが)一般的な誤解が払拭させられることを期待します。 |
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