1998年5月 |
第六夜 1998年5月31日
< 第一クォーターを振り返って >
早いもので今週で第一クォーターが終了します。私が参加しているこのカリキュラムは、大きく分けて四クォーターからなり、第一、第二クォーターで主にビジネス英語を学び第三クォーターでワシントン州立大学の授業を聴講し、また自分の分野についてさらに煮詰めた学習に入ります。そしていよいよ第四クォーターで、インターンシップが始まります。インターンシップとは、会社とはどういうものかを社会に出る前の学生が実体験できるシステムで、アメリカでは一般化しているものですが、日本では、私の勉強不足かも知れませんが、あまり耳にしないシステムです。また私がこのカリキュラムに決めた最大のきっかけでもあります。私はレストラン(こちらのバーにはあまり惹かれません)に申し込みたいのですが、今のところ受入態勢のあるところは見つかりません。それでも、シアトルにはウエスティンをはじめ、すばらしいホテルがいくつかありますので、その中から選べれば、と考えています。それがバーでなくてもきっと貴重な体験になると思います。日本を発つ前はインターンシップで頭がいっぱいで第一から第三までの事はあまり考えていなかったのですが、今第一クォーターを振り返ってみて、このカリキュラムにして良かったのではないかと思います。
確かに正規の大学生として入学した訳でははないので第一と第二は日本人に囲まれ、正規の学生といっしょに授業が受けられるのは基本的に第三からであり、今のところ週に二日だけですが、それでも、私の担当の先生は非常に素晴らしい方ですし、授業の内容もビジネスを想定したものがほとんどで、特に毎週あけに、新聞やインターネットから記事を拾いそれを要約し最後に自分の意見を加えてクラスでプレゼンテーションする課題があるのですが、かなり重労働ですが非常にやりがいのある、また将来自分でビジネスを始めた時に必ず役に立ってくれるものだと思います。またその他にも、ディスカッションの進め方やビジネスレター、ビジネススラングなど殺人的な宿題を含めてなかなか充実していると思います。加えて、前述したジョブインタビューは一生忘れる事はないでしょう。ただ、正直にいえば、せっかくアメリカに来ているのだから、日本人といっしょのクラスでは不甲斐ない気もしますし、宿題に追われてなかなか街へ出れず机に噛付いているのは日本で勉強しているのと余り変わらない気もします。ただ、そういう環境のなかでも、私はラッキーだったと思います。
前述したように先生は素晴らしいですし、役に立つ授業内容だし、日本人ですが社会経験の豊富な方に、お客様として出会っていたらなかなか聞けないような事も、クラスメートだからといっていろいろ話が出来たり、そして何と言っても、アメリカであろうが日本であろうがこんなに時間を取って、仕事以外の事で、一つの事に集中できる時間があるというのは、これから先なかなかないと思います。肝心の英語は思ったほど上達していませんが、このカリキュラムを信じてがんばりたいと思います。何事もBESTな環境などないと思いますし、BETTERを継続していくことが最もBESTに近いと信じていますので。・・・・・・たまにBITTERに感じる時もありますが・・・。とにかくがんばりたいと思います。・・・あと一週間で小ヴァカンスだ〜!
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| 第五夜
1998年5月25日
< 最高の宿題 >
今日の3:00〜5:00の2時間はアメリカに来てから最も感激した時間だったと思います。私の授業のプロジェクトの一つで、スモールビジネスのオーナーにインタヴューすることになり、私は、迷わずSZMANIA’Sと言うレストランを訪ねる事に決めました。そこのオーナーシェフはかつてはドイツのヒルトンホテルで腕を振るい、その後ヘッドハンティングされシアトルのフォーシーズンズホテルのエグゼクティブシェフとして名を馳せたという、シアトルでは最も名の通った料理人の一人です。そのような方ですので大変忙しく(本業以外で)、アポイントが取れず、結局マネージャーにインタビューする事になってしまいました。残念でしたが、マネジャーと話をさせてもらえるだけ幸運かな、と思い当日訪れると、なんとあの雑誌でよく見かける方がウエィティングバーで社員と話しをしているのが見えました。これはチャンスだと思い、失礼かなとも思いましたが、マネジャーを通してインタビューをお願いするとこころよく承諾してくれました。有名人のわりに気さくな方で、たかが学生のジョブインタヴューごときに非常に熱心に答えてくれました。私は7,8個の質問を用意していきましたが、主に1、レストランサービス
2、料理の芸術性とそのコスト
3、社員教育について彼は熱心に話してくれました。
彼から返ってきた答えはは何の事はないよく聞く内容ばかりでしたが、私は胸を突きぬかれるぐらい感激しました。似たような話を私の周りの友人ですら口にするのを聞いた事があります。その違いはなにか。それは本で読んだ事や、胸に描いている事や、またそう努力していることを話したのではなく、そのシェフが自分自身で既に実行し、しかもその結果を出している事のみを私に語ってくれたからだと思います。同じ言葉でも話す人によって印象が変わってくると言う事を、改めて認識させられました。よく、なかなか結果が出せないいらただしさから、人に自分が心がけている事を偉そうに語っていた自分を思い出し、非常に恥ずかしくなりました。そういえば、同じウイスキーでもサービスするバーテンダーによってが印象が変わってくる、という事にも共通するなにかがありそうです。お客様は私以上に敏感でしょうし。恐いですね、バーテンダーという仕事は。自分の口先だけに頼り、考えている事を熱心に語ったところで所詮はハッタリだと経験の多い年配のお客様には見抜かれてしまうだろうし、分かっているふりをして未知の話を聞いていたとしてもそれに精通したお客様であれば、すぐに物足りなさを感じる事でしょう。それ以外のお客様もなんとなく退屈してしまい、結局それらが満たされるバーを探すと言う方も多いと思います。口先から発するのではなく、グーっと心底まで引っ張り、しかもその形は変えないまでも、自分が経験して身につけた色をそれに塗りそれから発しなければ、また耳の穴を出来るだけ多くの経験で奥行きを広くしておかなければ、お客様がおもいっきり満足のいく遠投のようなキャッチボールは出来ないのでしょう。結果を出した男というのは、ちょっとミーハーですが、カッコイイですね。今日は、自分で単純だなと思いましたが、帰った後今までで最も気を入れて勉強したと思います。はやく、私もすべての人と毎日でも長〜い遠投ができるようになりたいものです。そして、願わくば、彼のように自適悠々に・・・・ずうずうしいですね。 |
| 第四夜
1998年5月18日
< 四季?>
通常であれば週末の破壊的な宿題をいいわたされ、重い気持ちになるはずの木曜日の
午後に、めずらしく人間扱いされ、久しぶりに日本の大学生気分を味わいながら週末の予定を友人と立てる事にしました。残念ながら、皆予定があわず結局一人で行動しなければならなくなってしまいましたが、これはハイクラスのバーに行くチャンスだ
とひらめきました。私の友人は、飲みにでかけるのは好きなのですが、当然かもしれ
ませんが、高いお金を出してそれに見合ったサービスを受け、それをリーズナブルと
考えたりはしません。安くて大騒ぎが出来れば良い、と言う奴等ばかりです。私もバーテンダーでなければそうだったと思います。それはそうと、この二ヶ月近く街場のバーでさんざんな目にあい、そろそろおいしいお酒をゆっくり楽しみたいし、一流のバーテンダーを見て刺激を受けたい、もう外したくない、と考え世界中で認められており、またシアトルを代表する一流のホテルのバーに行く事にしました。足早に家に帰り、この日のために大切に日本から抱えてきたスーツをまとい、奥にしまっておいた革靴を取り出ししっかり磨き、髪を整え、ネクタイを三度結び直し、それらとはあきらかに不似合いの85cのバスに乗り、下唇をかみしめながら、いつかこれから行くホテルに見合った懐を、と願いつつ、バスの揺れにあわせてそこのバーへの期待を膨らませていきました。ダウンタウンに着き、街を見渡すと、
いつもと比べやや静かな様子でした。そうだ!今日は"Seinfeld"の最終回だ。それは、アメリカで最も人気があり、九年も続いた名物コメディで、全てのアメ
リカ人が一度は見た事があるほど有名なテレビ番組です。ただ、私は、あまり関心がなかったのと、バーで頭がいっぱいだったために、その風景にさえも全く気にも留めずに目的地へと向かいましたが、しかしそれが大いに関係あったのです。そうとは知らず、洗練されたサービスを胸にくっきりと描き、それまでに何軒もはずした苦い経験を過去のものとし懐かしみながら、ホテルの入り口にたちました。ヨーロピアンの建物に軽くのけぞりましたが、私の期待の後押しが完全にまさり、足早に一階の隅の
バーへと向かいました。バーテンダーはポールニューマンかクリントイーストウッドか、お客様はマーロンブランドで、その隣はシャローンストーンかな、などと考えクスクス笑いながら、入り口近くまで行きました。すると、中からジャックレモンのような笑い声が聞こえてきました。ま〜、ここはアメリカだし、笑い声が高らかな人もいるだろう、と軽い現実逃避をし中へ入りました。カウンターに二人ほどお客様がいましたが、Tシャツ姿でジャックレモンの声をもつサモハンキンポーがギルバートグレープのママのような女性と大笑いしているのがすぐに目に入りました。テーブルにも数名お客様がいたと思いますが、いかんせんやや視界が狭くなっていたもので覚
えていません。更に私を驚かせた事は、なんとカウンターにテレビを置きあのSeinfeldが上映されていました。バーでスクリーンを使っているのは見た事があり
ます。しかし、一流と呼ばれているホテルのバーがバカ笑いを引き起こす物をカウンターにおいているとは・・・。しかし、その店のスタイルでバーの善し悪しを決める物ではあるまい。今度はやや強めの現実逃避でしたが、そこ
で私は、カジュアルでも気の利いた一流らしいサービスに期待する事にしました。しかしすでに、やや病的に落胆しそうでしたので薬代わりにラガヴーリンで刺激しよう
と思いオーダーしようと思ったのですがテレビに夢中のバーテンダーは、いっこうに気がつきません。やっと気がつきオーダーを取ると、またテレビを見てバカ笑いし、そのまま顔の向きを変えずにラフロイグをグラスに注ぎました。確か私のオーダーは
ラガヴーリンのはず。確かに、チーズバーガーとコーラに汚染された私の舌の厚い膜を破りラガヴーリンと違うラフロイグの個性が私の味覚まで到達するかどうか疑問でしたが、火がついた隠れミシュラン根性は、誰にも止められません。一度言ってみたかったあのCMの有名な台詞がいえる。’これはラガヴーリンじゃないぜ。’胸をときめかせながらバーテンダーに声をかけました。
しかし、何度となく声に出しバーテンダーを呼びましたが、隣の笑い声に打ち消され届きません。仕方なくこれはあきらめ、サウンドがだめならビジュアルでいこうと考え、自分の近くに灰皿がない事を確認し、煙草に火をつけました。日本の一流バーで
あれば、煙草が見えた瞬間に灰皿が視界に入ります。しかし、私の必至ののろしもむなしく、だれも手を差し伸べる人間はおらず無人島気分をしばらく味わっていると、
今にも灰が落ちそうになったとき、やっと私の手元に灰皿が届きましたが、それはバーテンダーからではなく、ジャック
レモンもどきからでした。バカ笑いとともに。静かにマティーニのピンでも並べてろ、と言いたいところでしたが、代わりに彼
はビールビンを山のように並べてました。さすがに私もその頃には現実を把握でき家に帰る決心がついたので会計をお願いし、カードを挟んで渡そうとしましたがだれも
取りに来ず、いい加減待てなくなったので、ピッタリの金額の現金を置いて帰ろうと
しました。それを見たバーテンダーはやや怪訝そうな顔つきでした。チップというのは、本来の意味を超えて本当に慣例的になっているのだな、と感じましたが、長時間、人間との接触を断っていた漂流後の私に、異国の習慣など理解出来る訳ありません。値段は安かったのですが、以上に高価に感じました。しかし意外にも、そういう気持ちになったバーまた来よう、と思っています。それもたくさんの友達をつれて。
外に出てそのホテルの入り口に立ち、ドンチャン騒ぎを思い出しつつ、ふと思いました。四季というより死期かな? |
| 第三夜
1998年5月10日
< シアトルでの生活 >
私はシアトルのダウンタウンから車で10分程度の、海が一望できる小高い丘の上にある家庭にホームステイしています。マグノリアという所で、アメリカ人が最も住んでみたい都市であるシアトルのなかでも、最も人気の高い所のひとつです。周りの家々を見渡せば、さながらハリウッド顔負けといったところでしょう。雨の多い地域ではありますが、晴れた日は本当に気持ちが良く、塀のない広々とした住宅街を、のんびり芝を刈る日曜パパに声をかけられたり、庭でビールを飲みながらゆっくり楽しく時間を潰している若い夫婦の姿をみながら近くの海まで歩くと、非常に不思議な気
持ちになります。自分はいったいあくせくしながら何を探してるんだろう。日本にいる時は考えもしなかった事です。ハリウッド顔負けとは言いましたが、すべての家が非常に裕福なわけではありません。しかし、朝はいっぱいだったはずのバス停近くの駐車場は夕方6時にはガラガラになっています。7時には各家庭から楽しそうな笑い声が聞こえてきて、日曜には上記のような光景がどこででも見られます。自分はいったい何のためにここに来たのだろう。ビジネスで通用する英語を身につけるため。なんのために。ここに住んでいる人たちは周りを、世界を気にした事はあるのだろうか。私はそういう人達を以前までは狭い人間という言葉でしか表せませんでした。卑下し毛嫌いしていたかもしれません。私は新しいものや未知の物を大切にしながら生きてきました。あくせくしながら。しかしそれだけです。別にそうしてきたから、今何か特別なものがあるわけでも、人より優れたものがあるわけでもありません。生まれて始めて狭いと思っていた人達を羨ましいと思いました。狭いわけではなく自分の
世界を端から端まで把握し十二分に広々と生きているのだなと。私は、自分の世界がどういう物かも分かっていません。ただ動き回っているだけです。まだ見た事もない世界を、寝る前に5.6分想像し、それがあると信じ、目が覚めると現実に戻り、また焦りながらあくせく、拾えたはずの小さな幸せを横目にしつつ、夜中ベッドにつくまでフル回転し、そうすることがあたかも夢の世界へつながっていると思い込んで。今、久しぶりにのんびりとした生活をしています。のんきなホストファミリーの影響かもしれませんが、毎日無理してまで何かをするということがありません。隣から青い芝を見ている時は、まだ自分の世界をえこひいき出来たのかも知れません。そこに入って、真近でそれを見ているからその驚きが私の今までの感覚を変えていっているのでしょう。またこの感覚に慣れれば、今度はバーテンダーの生活が蒼くみえ、来年そこに戻った時、今と逆の不思議な気持ちを感じるのかも知れません。
シアトルは本当に素晴らしい街です。この環境で、あと10ヶ月余り過ごした時、
去年までの私の生活をどう振り返るか楽しみです。そして、またバーテンダーとして働き始めたとき、うまくそれらを調和させられる事を願います。そして、その新しい感性が5.6分の夢を永遠のものに変えてくれることも。 |
| 第二夜
1998年5月3日
< アメリカでのフランス語の授業 >
私は、週に二日フランス語の授業をとりました。そこでもっとも私を驚かせた事は、その授業のスタイルです。全くバックグラウンドのない学生向けの授業ですので、私は日本での英語の授業の経験から、まずはグラマーの説明ばかりだろうと思ってました。(これはいい英語の勉強になるし、ついでにフランス語の基礎が学べると思ったのでこのクラスをとったわけですが)しかし、実際には、ほとんど細かい文法の説明はなく、全てが会話に結び付けられた訓練でした。教授は九割フランス語で授業を進めます。驚いた事に、最初の授業が終わった段階で全ての学生が自己紹介と自分の家族について、加えて好きな食べ物や趣味までもフランス語で話せるようになっていました。また、初歩的なフランス語のテープなら習った範囲までなら聞き取れます。日本の英語教育を六年間受けた学生の何割が同レベルの会話力を身につけているで
しょうか。また、それ以上に、私にとって刺激的だったのは、教師と学生との距離です。教授が説明している最中であろうが、黒板に例文を示している時であろうが、かま
わず質問をあびせ、説明を中断させます。どんな些細な事でもその場で解決しようとするのです。わたしは、怪訝そうな教授の顔を想像しましたが、彼女は満身の笑顔で学生に熱心に答え、そればかりか‘Thank
you for
asking’と付け加えていました。私も、短命ではありましたが、塾での講師の経験があります。その時の私であれば、そんなくだらない質問は、教科書を読めば分かるだろう。先生
(様)にそんなこと聞くな。と思ったに違いありません。つまり、教師と学生の距離が短いというより、全くなく、目線も友人にたいするそれと変わらない、と言えるでしょう。しかし、教師に対する尊敬は日本でのそれとは比べものにならないほど大きいと言えます。なぜこのような違いが生まれるのか。その原因は、もちろん国民性に寄与する部分も多いかと思いますが、その教師の毅然とした態度によると感じました。学生からの全てを、威厳を使わずして対応し納得させてしまう。しかし、威厳(尊
厳、権利)を、振り乱していないために、学生は親近感を抱き、友人のように、すべてをぶつけてくる。しかし、経験、実力の違いから容易にそれらを包み込んでしまう。
私もバーテンダーとして、厳かながら、人にものを教えるという立場にいました。その時の私は、はたしてどうだったであろうか。後輩たちを近つけるどころか、自分の実力の無さを隠すために、ほんのちょっとだけ勝っている、有らん限りの知識と技術を見せつけ、逆に遠ざけようとしていたのではないだろうか。非常に反省させられる毎日です。もちろん、他の授業も同様な雰囲気であることは申すに及びません。ただ、私はアメリカに来てまだ一月ちょっとです。興奮状態にあるということは否めません。また、数ヶ月も経てばもう少し冷静に比較できると思います。その時またゆっくりこのことに触れられたら、と思います。日本に見習うべき部分もかならずあるはずですから。 |
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